なぜ「お勉強」好きな人は仕事ができないのか(紹介記事2/2)

問題解決段階を経ない勉強は「お勉強」の域を出ない

 企業において、勉強好きが役に立たないと揶揄されるのは、「お勉強」好きのことなのだろうと思う。本人は(2)「問題解決段階」や(3)「視野拡大段階」にいるつもりかもしれないが、さらっと一通り知識を得る(1)「知識習得段階」的な「お勉強」にとどまり、(1)の姿勢のまま、(2)(3)に臨んでいる人が多いように見受けられる。

 実際には、(2)「問題解決段階」で、自分の問題意識の在り方、興味関心の持ち方のパターン、自分がものを見るときの射程の限界、言葉遣いの癖を自覚する段階を経ていなければ、(3)の「視野拡大段階」以降、専門分野以外のあらゆるものを吸収する段階に進めないのである。

 芸事の修業段階を指す「守破離」でいえば、さしずめ、(1)「知識習得段階」と(2)「問題解決段階」が“守”、(3)「視野拡大段階」と(4)「検証適用段階」が“破” 、(5)「越境変容段階」が“離”だと考えられる。(1)「知識習得段階」と(3)「視野拡大段階」の間には、既存の知識を覚えるだけではなく、自分の問題意識を持って、そこに適用できることを必死で学ぼうとする(2)の「問題解決段階」があることが、多くの人に認識されていないのではないかと思う。

(2)(3)の「問題解決段階」なしに(1)の「知識段階」のままで(3)の「視野拡大段階」に飛ぶから、(3)の内容を構造的に把握できず、ダメな「ではの守」になり、ましてや(4)「検証適用段階」には行けないし、(5)「越境変容段階」など望むべくもないのだ。

 一方で、現地・現物・現実に確固たる問題意識を持つ人が、(2)「問題解決段階」を強烈に意識しているために、特段の「勉強」をせずとも、日々仕事に取り組むなかで、独自ともいえる卓越した技術体系やナレッジを紡ぎだせる場合がある。

 逆に言えば、こういう現地・現物・現実に苛烈なほどの問題意識を持って取り組む人に、専門分野や専門分野に応用できる領域の体系的な知識を学ぶ機会を与え、自分の世界観や技術観と格闘させることで、さらにレベルの高い視界を持たせることが可能なのだ((3)(4)や(5)に相当)。一方、「お勉強」のできる「お勉強」好きに勉強をさせても成果は(1)の段階の「お勉強」レベルにとどまる。企業は勉強させる人を選ぶべきなのである。

仕事のできる勉強好きな人になるには?

 学士の分際で申し上げるのははなはだ僭越だと自覚しているが、(2)「問題解決段階」以降がパスされやすい原因の1つは、 日本企業の人材教育部門に文科系出身の学士社員が多く、ちゃんとした修士論文、博士論文を書いた経験のある人が絶対的に少ないことが理由ではないかとも考えられる。

 既知の問題を解く演習をする学士論文((1)「知識段階」)。知識体系の枠組みの全体像を意識しつつ、そのなかの限定された問題を解く修士論文((2)「問題解決段階」よくできて(3)「視野拡大段階」)。潜在的な問題を発掘し、問題を設定、解決し、新しい意味づけを目指す博士論文((4)検証適用段階」)といったように、しっかりとした論文作成の指導を受ければ、勉強を段階的に進めていく能力はつく。

 もちろん大学院に行こうと行くまいと(1)〜(5)への段階的な勉強態度を身に付けている人もいるが、それはたまたま良い上司に恵まれてラッキーだったか、あるいは資質としてすごく優秀だったかである。そして、ほとんどの人が(1)のことを勉強だと思っている。

 (2)「問題解決段階」以降の、つまり、自己の領域を全体の枠組みを認識しながら、深く掘り下げることを重視せず、(1)「知識段階」の表面的な問題を素早く多く解けることをもって優秀と認識してしまうのは、日本企業の最大の弱みだ。

 私は、日本企業の復活のためには、(2)をしっかりやり、(3)(4)(5)の知的な掘り下げを奨励する組織文化を構築することが急務なのではないかと思っている。もちろん、「お勉強」と「勉強」を区別せず、勉強を軽視するのは絶対にやめなければならない。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山進、構成/ライター 奥田由意)


なぜ「お勉強」好きな人は仕事ができないのか(紹介記事1/2)

「勉強」と「お勉強」は仕事の役に立つのか

 皆さんの周囲にこんな人はいないだろうか。「うちの社員は基本的な知識すらあやふやで、ちっとも『勉強』しない」といつも怒っている人。かたや「うちの社員はろくに仕事もせず、大学院とやらに通って『お勉強』ばかりに精を出している。もっと顧客を観察し、自分で考えることが大事なのに……」と嘆く人。

 こんなふうに勉強を否定する人は必ずいるだろう。揚げ句の果てに「お勉強」好きは仕事ができないと言い切る人もいる。さて、その真偽やいかに。

 「勉強」を肯定する人は「ビジネス遂行のため、基本的な知識を身に付けることは当然必要」「勉強して資格でも保有すれば、信用にもつながる(し、転職にも有利)」「勉強すれば、視界が開け、新しい世界を見ることができ、創造につながる」と考えている。

 そして、近年、日本企業が弱くなった理由を勉強時間の少なさに求める。OECD, “Skills Outlook 2017”によると、25〜64歳の被雇用者のうち1年以内にリカレント教育(教育と就業を交互に行う教育)に参加した者の割合は、OECD28ヵ国中、日本は22位だという。「ほら、勉強してないからダメになったんですよ」という理屈だ。

 さて、「勉強」を嫌う人は、「『お勉強』で習うこととビジネスはまったく別だ。実践知は学問知とは違う。資格とか、まったく意味ないし…」「頭でっかちなヤツに仕事のできるヤツはいない。口ばっかり達者で手を動かさない、行動しない」「現地・現物・現実こそが大事。3つの現に真剣に取り組めば本質がわかる(三現主義)のに、机上の空論ばかりしている」などと言う。

 そして、ヘンリー・ミンツバーグ氏(『MBAが会社を滅ぼす』日経BP社)や遠藤功氏『結論を言おう、日本人にMBAはいらない』角川新書)を引き合いに出して、日本企業の衰退を、MBA教育などのビジネス教育の隆盛に帰するだろう。

 さて私はというと、肯定派でもあり否定派でもある。もう少し言うと「勉強」肯定派であり、「お勉強」否定派である。禅問答ではない。こと実業の世界においては、「勉強」という言葉が指す中身は、さながらマズローの欲求5段階説のように遷移し、人によって想定している中身が相当に違うのである。「勉強」と「お勉強」の違いも含めて語ってみたい。

勉強の5段階説?知識習得から越境変容まで

 ここで、実業の世界における「勉強の5段階説」について、解説していきたい(なお、こちらは、私個人の認識枠組みなので、学問知を欲する方の求めるものではないかもしれない)。

(1)知識習得段階

 「枠組みの決まっている体系化された知識、ノウハウを習得するために努力する」段階。

(2)問題解決段階

 既存の体系的な枠組みの中から、「問題解決に適切な思考認識・行動パターンを探索、抽出し(勉強し)、それを問題解決に活用しようとする」段階。このとき、自分の関心が体系的な枠組みの中のどの領域を扱っているのか、なぜそこを使っているのか、を自分なりに客観視し、自覚できるようになれば、同段階の中でもかなりの上級レベルである。

(3)視野拡大段階

  (2)で既存の枠組みの中に十分に有効な手だてが発見できない場合、「他の知識体系や領域の中にヒントを探す活動(勉強)をする」段階。人によっては、特定の問題の解決に限定せず、「常日頃から(潜在的な問題も含めた)問題解決のヒントになる事象がないか気をつけて外部と接している」人もいる。

(4)検証適用段階

  (3)の中で有望なヒントや事象を見つけた場合、それがどのような歴史的背景のなかでどう生成され、現在、他の要素との関係においてどう機能しているかを学習、理解した上で、「自分の問題解決にどのように応用できるかをシミュレーション(勉強)し、適用を遂行することを習慣としている」段階。(4)をしっかりとやることで、他領域の知見が問題解決に意味のあるものになる可能性が高まる。

(5)越境変容段階

 「((3)(4)で関わった)自分にとっての新しい領域を深く学ぶべく格闘し、自分が変わっていく」(勉強)段階。その際、自分がこれまで使用してきた思考行動パターンの割合が縮小し、新しく獲得した思考認識や行動パターンと融合することで、新しい世界観や言語体系を獲得することができる。

 ビジネスにおける勉強とは、おおよそこのようなものであろう。

 まず、(1)の「知識段階」では、四の五の言うより、とにかく必要な知識をさっさと身に付けてしまうのがよい。会社の業務が求める基礎的なスキルとともに、今なら統計的知識やプログラミング、英語の読み書きや話す技術なども含まれる。この種の勉強を否定する人は(あまりいないと思うが)、やる気がないか、社会の変化が見えていないということなのだろう。たまに、この段階を教えてくれる先生の中に、その知識体系の持つ豊穣な意味や世界観を巧みに見せてくれる人がいる。こういう先生に習うと、知識習得段階から次の段階にごく自然に進むことができる。

 (2)の「問題解決段階」では、スタンスが重要だ。自分の問題意識を明確にし、ある知識体系のどこが使えそうか、それを使ったら何が解決できるが何が残るか、残された問題はどのような知識を利用することで解決できそうか、などを徹底的に考え抜く姿勢である。こういった意識が弱いまま、キーワードや定説や方法論を暗記するように「お勉強」して、それを適当に使っているだけだと、役に立たないへっぽこ知識を振り回す人になる。そして、「○○によると」と立派な学者の名前を連呼したり、あるいは、理論を絶対視し、都合の悪い現実の方を無視したりする。

 「お勉強」なんか不要という人の多くは、問題解決の意識の低いままに(1)の段階の知識を(2)の問題解決に使う振りをしながら、実際には単に「俺はこんなことを知っているんだぞ」と知識を開陳している人に、疑義を呈しているのである。

 (3)「視野拡大段階」では、「内にこもるな。旅をし、本を読み、社外の人と話し、美しいものを見て、あらゆることを吸収しよう!」といった話になりがちだ。これもやりようで、(2)の「問題解決段階」を常日頃からしっかりと体験し、さまざまなことに問題意識を持っている人は、何をしても勉強になる。見るもの聞くものすべて(潜在的関心を含む)が、当人のアンテナに引っ掛かり、それらが次々と自分の中の既存の知識と接続され、(ものによっては時間を経て)意味を持つ。

 一方、旅をし、本を読み、人と語らうのだが、仕事の成果に結びつかず、ただ新しいものに目移りしているだけのように見える人もいる。

 そして「こんな新しいことがあります!」と報告してくるのだが、「で、それがどないしたんや」とこちらは言うことになる。

 (3)の「視野拡大段階」における勉強が、肯定されるか否定されるかは、その人が(2)の問題解決段階を十分に経ているかによる。(2)をスキップした人の(3)における「お勉強」は、当人は真面目に勉強しているつもりでも、周りは許容できない。

 (4)「検証適用段階」にあるのは、(3)の「拡大段階」で知り得た他領域の考え方や方法が、いかなる背景の上に成り立ち、いかなる目的に対して、いかに機能するかをシステマチックに認識し、その上で自分の問題解決に適用し、検証しようとする態度である。

 「欧米では」「グローバル企業の〇〇では」と言うのが好きな「ではの守」。実は「ではの守」にも尊敬される人とそうでない人がいる。尊敬される人は、単に欧米の例や〇〇の例をうのみにして広めるのではなく、「これこれの歴史的背景と制約条件のある〇〇でこのように機能したのだから、重要なのはXXだ。それをわが社で応用するとしたら、△△に気を付けなくてはならないだろう」という考え方をしているのだ。多面的な尺度から構造的に把握する勉強の姿勢と習慣を持っており、それ故に仮説が生まれ、その仮説を基に実行しようとする。この段階にある人の仕事は安心して見ることができる。たとえ失敗しても必ず何かが得られる。

 (5)「越境変容段階」。これこそ、勉強らしい勉強である。別の分野に没入していく際の居心地の悪さが、新しい創造の機会を生む。 自分がすでに持っていたものと、新しい外来のもの、すなわち、異なる要素同士の統合が行われる。あるいは、まったく新しく血が入れ替わるような体験かもしれない。一般企業でここまで到達して勉強している人は少ないが、異業種への転職やまったく違う職種への異動などは、この段階を経験するチャンスである。ただ、こちらも上記の(1)〜(4)段階を経た人や、少なくともその素養がある人でなければただ単に、(1)のお勉強になってしまう。

 さて、この(5)段階目は、短期的には生産性が著しく低下するので、よほど当人に強い意志がないと会社や上司はこれを容認できない。人事考課も悪くなる。だから推奨されないし、やらないし、やれないのだ。千葉雅也氏の著書『勉強の哲学』には、「勉強とは、これまでの自分を失って、変身することである。だが人はおそらく、変身を恐れるから勉強を恐れている」と書かれている。確かに、この段階の勉強は、培ってきた自己の崩壊につながる可能性もあるから大変恐ろしい。


テニスコート4面改修に1億6764万円???

 

少子化 → 子供減少 → 教職員減員 → テニス部廃止(天間林中学校) → テニス人口減少 → テニスコート利用率低下 → テニスコート改修費用予算化優先順位下位 → ??? → 財政が厳しい中、七戸運動公園テニスコート4面を人工芝に改修する予算が議案として議会に提案される

 

町を信用して承認はしたものの、未だに???のまま。

よって、???について事後確認していく。

 

画像1.七戸運動公園全景

テニスコート改修4七中1

 

画像2.七戸運動公園内のテニスコート4面(北側から見た風景)

テニスコート改修4七中2

 

画像3.改修されたテニスコートとその周辺

   (北側から見た風景、平成30年12月6日撮影)

テニスコート改修4七中4

 

画像4.平成30年12月定例会に提出された議案第100号

テニスコート改修4面1

テニスコート改修4面

テニスコート改修4面3テニスコート改修4面4

 

画像5.天間林中学校全景

テニスコート4面天中1

 

画像6.天間林中学校のテニスコート2面

テニスコート4面天中2

私の記憶では、町村合併前の平成15年頃に、3600万円かけて、ハードコートからオムニコートに改修し、夜間練習できないという声に応えて照明を付けたように思う。

当時でも、1面に1800万円もかかることに驚いたし、特段、コートの改修を強く要望する利用者がいたような記憶は全くない。

私も硬式テニスを盛んやっていた頃だが、ハードコートに対して特段不満はなかった。

テニスコートの整備は目的ではなく、手段に過ぎないが、目的が全く見えて来ない。

私に目的が見えていないだけであって、計画した町には明確な目的があるのだろう。

私が知らないだけであって、将来の錦織圭や大坂なおみが我が七戸町に生まれているのかも知れない。

そうでもなければ、これ程思い切った投資はできない。

他に考えられるとすれば、寄付予定者の意向。

平成29年12月26日、青森市に対して市民から20億円もの高額寄付があった。

青森市は、寄付者の意向で、市民の健康増進やスポーツ推進に関する事業に今後使う予定という。

公表されていないだけであって、「テニスコートを改修するならば」という条件で1億円くらい寄付する予定の町民がいるのかも知れない。

それであれば大歓迎。

 

平成31年1月17日、七戸町に公文書開示請求しました。

1.平成25〜30年度の七戸運動公園テニスコートと天間林中学校テニスコートの利用状況(使用人数と年間利用料金)とテニス協会の各年度の会員数がわかる資料。

2.七戸運動公園テニスコート改修の予算を提出するまでの経緯(町民からの要望、庁内の検討内容、業者とのやり取り等)と財源(補助金の要項や申請書等)に関する全ての資料。

3.テニス人口を増やすための計画とテニスコートの利用率を高めるための計画に関する全ての資料。


歴史と威厳のある天間舘神社

今日、天間舘神社春祭り(例大祭)に参加しました。

 

天間舘神社について紹介します。

 例大祭 1月19日10時〜、8月19日10時〜

 

 古来より「水神さま」として崇拝を集めております。

 御祭神

 「高おかみ神」が祀られていると伝えられています。

 水を司る神さま。降雨、止雨を司り、降った雨を地中に蓄えて適量に湧き出させる働きを司る神さま。

 水は万物の命の源であり、水がなければあらゆる生物は命を維持することができません。

 片時もおろそかにすることができない大切な水を供給する水源の神さまです。 

天間舘神社1

御利益

心願成就・えん結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣など

高おかみ神の「おかみ」という漢字は、

天間舘神社10と書きます。

 

天間舘神社2

 

天間舘神社3

拝殿正面上には天女と龍の彫り物があります。

 

天間舘神社4

 

天間舘神社5

 

天間舘神社6

平成24年、道ノ上保育園5歳児と天間みどり保育園の年長児の皆さんが、願いを込めて参拝。絵馬を奉納。

 

天間舘神社7

天間舘神社特性の運気龍昇の絵馬。

当日は、拝殿前に置いていますので、願いを書き込んで奉納して下さい。

絵馬の代金は税込み500円です。賽銭箱へ入れて下さい。

 

天間舘神社8

例大祭の舞台では、神楽・詩吟・歌謡・民謡・舞踏など24の演目が奉納されます。

 

天間舘神社は京都の貴船神社と関係があるとのこと。

 

大正四年(1915年)の天間舘神社の資料

(青森県神社誌編纂誌料)の紹介。

 

一、社格及び神社名とその鎮座地
 村社 天間舘神社 上北郡天間林村大字天間舘字小田平四十一番(官有地第一種)

 ※鎮座(神霊がその場所を自分の土地として長く留まり、どっかりと座っているという意味)
 

一.祭神及びその座数
 主神 タカヲガミノ神


一.神社創設の由来
 神社創設の由来はわからない。

 小川原明神記に天間舘神社の由来として付け加えてあれども小説的にして伝説と相違せり。

 神社に関する伝説として古くから、ある身分の高い姫君が良縁を求め、神に祈願するために当神社へ詣でるとして駕(籠)にて若党(若い武士)ただ一人を召し連れ天間舘に至り、若党は草履をはきかえる間に姫君は悪者のために奪われ、若党おおいに驚愕してあとを追い駆けたるに悪者どもは、はや川渡り場を越え、船は向こう岸に着き、吁べども返さず、若党は憤怒して川に飛び込み、たちまち龍の体に変し、角を上げ、水を飛ばし、火炎を吐きて追跡し、一本木と申す所に至り。

 黒雲にわかに起こり、神霊ここに現れて悪者ども進むことも退くこともできなくなった。

 神霊のご加護により悪者どもを切り伏せ、姫を取り返し、ことを得たりと。

 これより一本木の向かいの道を「クロ道」という。

 船人の名は金十郎と言いて一本木の西の方に屋敷の跡あり。

 今もこの地一帯を金十郎と言う。

 一本木は往古(大昔)坂ノ上田村麻呂が(蝦)夷(東北地方の部族)を退治するために出征の際、天間舘川を渡り越し、この所にご休息の折、お馬の鞭を倒(逆さ)に刺し立てたら芽が生じたと。

 よって一本の倒木(逆さ木)と言い伝えがある。

 若党はこ一本木に祭られ、今も小祠(ほこら)がある。

 悪者及び疫病除けの神と称して村人は人形を造りこの社に贈り納めることを常とした。

 船守金十郎死去後は村人皆(みな)怖(恐)れて船守なるものなく、村人交替(かわるがわる)船守をなす(事)やや長い。文化の頃、ある旅人を雇い、村内の空き地を敷地として船守とした。

 今も跡が残っていて、通称守りと呼ぶ。村の北の方の川向の地を字名舟場向川久保と称す。

 

一、神社の沿革
 往古は、法りょう大権現とあがめ奉り、毎年の祭りには(大字)天開舘部落の郷(部落)費を持って行い、神霊あらたかにして村人は神罰を恐れて社の内外は老木がうつそうとして昼なお暗く枯れ木多しといえども、一枝をも折る者なし。

 右天明の凶作の年、村人が社内の樹木を伐採して薪とした。

 ある夜、宮守の夢に白衣の神霊が枕べに現れ、社内の樹木をことごとく伐採し荒れされたり。

 吾(我)今より千曳の社に至らん。

 吾不在中、村に大火災起こり、汝の家一戸を残して他はことごとく焼失すべしと告げて夢さめ、三日目の朝、火災起こり、風加わりて霊夢の如く焼失したりと。

 

一.付属社として社の西北の方の境外地に稲荷神社あり。

 北の方に沼あり。

 長沼と称し、毎年一日の祈年祭には、この沼に至り、おみくじを引いて年の豊凶及び身の上の吉凶を占う。

 近郷(近くの部落)より集まる者多し。

 沼水には不浄を洗わず一大天変の前兆として龍燈(特定区域の水上に深夜明かりがつながったようにみえる現象)が昇る。

 村人おおいに警戒す。

 七八年前より沼の近くのそばは水田となり、用水を流水する結果、最近は龍燈を見ず。

 

一.社殿は数回焼失。

 伝説によれば古い神社の西の方の原野に野火が起こり、林に移り、社殿及び御神体を焼失(御神体は雲龍に貴人を乗せたる工作物)せりと。

 明治二十四年十二月十七日焼失前の社殿は内御堂として三尺四面のごく古きそまつな流れ造り(屋根の片方が長い造り)にして拝殿兼鞘堂(さやどう)として三間四面のかやぶき平屋御拝口(おんおがみぐち)に向って左の柱に郷社天間舘神社の小さな木札一つが掛けてあったが、失火により焼失。

 焼失後の堂宇(堂の軒)は粗造りにして腐朽しているのを氏子のある者が病気全央を祈願したことにより霊験(人の祈りに対して神が現わす不思議な働き)あらたかに惑いし、改築を望みて氏子及び敬神家(神を大切にする家)の寄付を仰ぎ、明治二十五年八月十五日現社殿を建立せり。

 

一.明治六年四月村社に列せられる。

 

一.宮守は旧来代々(以前から何代も続いている)工藤重内であったが、(明治)維新後、神職が変わること数回、小田百江が社掌(宮司才の下で一切の事務を行う職)となり、後年、月不詳、作田健治神職たり。

 死亡後、明治三十六年十一月十六日、澤田政悦が社掌に補せられ、明治三十八年三月二十二日死亡、その後、明治四十三年十一月一日、再び小田百江に補せられ、現今に及ぶ。 

 

一.現在の社殿及び工作物

 本殿 木造柾葺流造 縦一間 横一間

 拝殿 木造柾葺入母屋造 縦三間 横三間

 鳥居木造  ? 高さ一丈一尺 九幅一丈二尺 一基

 

一.現在の氏子及びその部落名

 氏子 四百六十戸  部落名十九部落 天間林村大字天間舘のうち、天間舘、中野、原久保、手代森、向中野、鳥谷部、十枝内、松ケ澤、市ノ渡、哘、栗ノ木澤、上原子、白石、原子、金澤、坪、柳平、小又、寺澤

 

一.現在の境内 四百八十坪六合

 

一.現在の財産 なし

 

一.神饌幣帛(しんせんへいはく)料指定年月日

  大正四年七月十三日 青森県告示第二百九十四号

  右のとおりです。  大正四年十月二十九

  上北郡天間林村大字天間舘字小田平四十一番鎮座

  村社天間舘神社  社掌 小田 百江


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