1998年8月31日、北朝鮮が発射した弾道ミサイルが三沢基地から6kmの海上に着弾した。ミサイル推進部分から切り離された弾頭は三沢基地近くに落ちていた。テポドンで三沢基地を正確に撃てるという北朝鮮のアピールだと言われている。
三沢基地の北30kmの位置に六ヶ所再処理工場があるが、攻撃対象となる施設が並んでいるようなものだ。
三沢空港は、航空自衛隊とアメリカ空軍と民間が同時使用している飛行場で、三沢〜大阪線は、一日一便運航している。その滑走路をF16戦闘機も利用しているが、模擬弾や燃料タンクを滑走路や畑や沖合に落下させる事故が頻繁に起こった。住民は爆音に晒され不安の中で暮らしている。
その米軍三沢基地により三沢市は財政と経済の面で恩恵を受けており、事故、事件、騒音に対しては申し入れはするが、基地を拒否する姿勢は見えず、その点は六ヶ所村と似ている。
三沢基地にはエシュロンと呼ばれる通信傍受システムがあり、米国の国家安全保障局が千人単位で運営し、ロシアに亡命したエドワード・スノーデン氏もかかわっていたと言われている。
NHK大河ドラマ「八重の桜」の会津藩は、戊辰戦争後、再興を許された会津松平家が、旧藩士とその家族1万7千人余りと、七戸藩の南と、火山灰土の風雪厳しい不毛の下北半島に移住し、斗南(となみ)藩と命名した。
七戸(しちのへ)藩の新渡戸傳(にとべつとう)は、自藩も厳しい状態ながら、斗南藩に多大な援助を行った。
新藩設立から2年後の廃藩置県によって、斗南藩は斗南県となったが、廣澤安任(ひろさわやすとう)は、財政が厳しい斗南県と七戸県と八戸県の将来を考え、黒石県も説き回り、弘前県に編入する形で後の青森県を成立させた。
廣澤安任は、明治新政府が放っておかない才人だったが入閣の誘いを固辞し、牛馬の繁殖、肉と乳の製品化、土木工事、農具の改良、牧草栽培など、牧場経営に関するあらゆる研究を行い日本初の洋式牧場を成功させ、農業の基盤を築いた。
三沢市を訪れる機会がある方には、斗南藩記念観光村と三沢市先人記念館の見学をお勧めします。
斗南藩領地 廣澤安任