テニスコート4面改修に1億6764万円???

 

少子化 → 子供減少 → 教職員減員 → テニス部廃止(天間林中学校) → テニス人口減少 → テニスコート利用率低下 → テニスコート改修費用予算化優先順位下位 → ??? → 財政が厳しい中、七戸運動公園テニスコート4面を人工芝に改修する予算が議案として議会に提案される

 

町を信用して承認はしたものの、未だに???のまま。

よって、???について事後確認していく。

 

画像1.七戸運動公園全景

テニスコート改修4七中1

 

画像2.七戸運動公園内のテニスコート4面(北側から見た風景)

テニスコート改修4七中2

 

画像3.改修されたテニスコートとその周辺

   (北側から見た風景、平成30年12月6日撮影)

テニスコート改修4七中4

 

画像4.平成30年12月定例会に提出された議案第100号

テニスコート改修4面1

テニスコート改修4面

テニスコート改修4面3テニスコート改修4面4

 

画像5.天間林中学校全景

テニスコート4面天中1

 

画像6.天間林中学校のテニスコート2面

テニスコート4面天中2

私の記憶では、町村合併前の平成15年頃に、3600万円かけて、ハードコートからオムニコートに改修し、夜間練習できないという声に応えて照明を付けたように思う。

当時でも、1面に1800万円もかかることに驚いたし、特段、コートの改修を強く要望する利用者がいたような記憶は全くない。

私も硬式テニスを盛んやっていた頃だが、ハードコートに対して特段不満はなかった。

テニスコートの整備は目的ではなく、手段に過ぎないが、目的が全く見えて来ない。

私に目的が見えていないだけであって、計画した町には明確な目的があるのだろう。

私が知らないだけであって、将来の錦織圭や大坂なおみが我が七戸町に生まれているのかも知れない。

そうでもなければ、これ程思い切った投資はできない。

他に考えられるとすれば、寄付予定者の意向。

平成29年12月26日、青森市に対して市民から20億円もの高額寄付があった。

青森市は、寄付者の意向で、市民の健康増進やスポーツ推進に関する事業に今後使う予定という。

公表されていないだけであって、「テニスコートを改修するならば」という条件で1億円くらい寄付する予定の町民がいるのかも知れない。

それであれば大歓迎。

 

平成31年1月17日、七戸町に公文書開示請求しました。

1.平成25〜30年度の七戸運動公園テニスコートと天間林中学校テニスコートの利用状況(使用人数と年間利用料金)とテニス協会の各年度の会員数がわかる資料。

2.七戸運動公園テニスコート改修の予算を提出するまでの経緯(町民からの要望、庁内の検討内容、業者とのやり取り等)と財源(補助金の要項や申請書等)に関する全ての資料。

3.テニス人口を増やすための計画とテニスコートの利用率を高めるための計画に関する全ての資料。


歴史と威厳のある天間舘神社

今日、天間舘神社春祭り(例大祭)に参加しました。

 

天間舘神社について紹介します。

 例大祭 1月19日10時〜、8月19日10時〜

 

 古来より「水神さま」として崇拝を集めております。

 御祭神

 「高おかみ神」が祀られていると伝えられています。

 水を司る神さま。降雨、止雨を司り、降った雨を地中に蓄えて適量に湧き出させる働きを司る神さま。

 水は万物の命の源であり、水がなければあらゆる生物は命を維持することができません。

 片時もおろそかにすることができない大切な水を供給する水源の神さまです。 

天間舘神社1

御利益

心願成就・えん結び・家内安全・商売繁盛・五穀豊穣など

高おかみ神の「おかみ」という漢字は、

天間舘神社10と書きます。

 

天間舘神社2

 

天間舘神社3

拝殿正面上には天女と龍の彫り物があります。

 

天間舘神社4

 

天間舘神社5

 

天間舘神社6

平成24年、道ノ上保育園5歳児と天間みどり保育園の年長児の皆さんが、願いを込めて参拝。絵馬を奉納。

 

天間舘神社7

天間舘神社特性の運気龍昇の絵馬。

当日は、拝殿前に置いていますので、願いを書き込んで奉納して下さい。

絵馬の代金は税込み500円です。賽銭箱へ入れて下さい。

 

天間舘神社8

例大祭の舞台では、神楽・詩吟・歌謡・民謡・舞踏など24の演目が奉納されます。

 

天間舘神社は京都の貴船神社と関係があるとのこと。

 

大正四年(1915年)の天間舘神社の資料

(青森県神社誌編纂誌料)の紹介。

 

一、社格及び神社名とその鎮座地
 村社 天間舘神社 上北郡天間林村大字天間舘字小田平四十一番(官有地第一種)

 ※鎮座(神霊がその場所を自分の土地として長く留まり、どっかりと座っているという意味)
 

一.祭神及びその座数
 主神 タカヲガミノ神


一.神社創設の由来
 神社創設の由来はわからない。

 小川原明神記に天間舘神社の由来として付け加えてあれども小説的にして伝説と相違せり。

 神社に関する伝説として古くから、ある身分の高い姫君が良縁を求め、神に祈願するために当神社へ詣でるとして駕(籠)にて若党(若い武士)ただ一人を召し連れ天間舘に至り、若党は草履をはきかえる間に姫君は悪者のために奪われ、若党おおいに驚愕してあとを追い駆けたるに悪者どもは、はや川渡り場を越え、船は向こう岸に着き、吁べども返さず、若党は憤怒して川に飛び込み、たちまち龍の体に変し、角を上げ、水を飛ばし、火炎を吐きて追跡し、一本木と申す所に至り。

 黒雲にわかに起こり、神霊ここに現れて悪者ども進むことも退くこともできなくなった。

 神霊のご加護により悪者どもを切り伏せ、姫を取り返し、ことを得たりと。

 これより一本木の向かいの道を「クロ道」という。

 船人の名は金十郎と言いて一本木の西の方に屋敷の跡あり。

 今もこの地一帯を金十郎と言う。

 一本木は往古(大昔)坂ノ上田村麻呂が(蝦)夷(東北地方の部族)を退治するために出征の際、天間舘川を渡り越し、この所にご休息の折、お馬の鞭を倒(逆さ)に刺し立てたら芽が生じたと。

 よって一本の倒木(逆さ木)と言い伝えがある。

 若党はこ一本木に祭られ、今も小祠(ほこら)がある。

 悪者及び疫病除けの神と称して村人は人形を造りこの社に贈り納めることを常とした。

 船守金十郎死去後は村人皆(みな)怖(恐)れて船守なるものなく、村人交替(かわるがわる)船守をなす(事)やや長い。文化の頃、ある旅人を雇い、村内の空き地を敷地として船守とした。

 今も跡が残っていて、通称守りと呼ぶ。村の北の方の川向の地を字名舟場向川久保と称す。

 

一、神社の沿革
 往古は、法りょう大権現とあがめ奉り、毎年の祭りには(大字)天開舘部落の郷(部落)費を持って行い、神霊あらたかにして村人は神罰を恐れて社の内外は老木がうつそうとして昼なお暗く枯れ木多しといえども、一枝をも折る者なし。

 右天明の凶作の年、村人が社内の樹木を伐採して薪とした。

 ある夜、宮守の夢に白衣の神霊が枕べに現れ、社内の樹木をことごとく伐採し荒れされたり。

 吾(我)今より千曳の社に至らん。

 吾不在中、村に大火災起こり、汝の家一戸を残して他はことごとく焼失すべしと告げて夢さめ、三日目の朝、火災起こり、風加わりて霊夢の如く焼失したりと。

 

一.付属社として社の西北の方の境外地に稲荷神社あり。

 北の方に沼あり。

 長沼と称し、毎年一日の祈年祭には、この沼に至り、おみくじを引いて年の豊凶及び身の上の吉凶を占う。

 近郷(近くの部落)より集まる者多し。

 沼水には不浄を洗わず一大天変の前兆として龍燈(特定区域の水上に深夜明かりがつながったようにみえる現象)が昇る。

 村人おおいに警戒す。

 七八年前より沼の近くのそばは水田となり、用水を流水する結果、最近は龍燈を見ず。

 

一.社殿は数回焼失。

 伝説によれば古い神社の西の方の原野に野火が起こり、林に移り、社殿及び御神体を焼失(御神体は雲龍に貴人を乗せたる工作物)せりと。

 明治二十四年十二月十七日焼失前の社殿は内御堂として三尺四面のごく古きそまつな流れ造り(屋根の片方が長い造り)にして拝殿兼鞘堂(さやどう)として三間四面のかやぶき平屋御拝口(おんおがみぐち)に向って左の柱に郷社天間舘神社の小さな木札一つが掛けてあったが、失火により焼失。

 焼失後の堂宇(堂の軒)は粗造りにして腐朽しているのを氏子のある者が病気全央を祈願したことにより霊験(人の祈りに対して神が現わす不思議な働き)あらたかに惑いし、改築を望みて氏子及び敬神家(神を大切にする家)の寄付を仰ぎ、明治二十五年八月十五日現社殿を建立せり。

 

一.明治六年四月村社に列せられる。

 

一.宮守は旧来代々(以前から何代も続いている)工藤重内であったが、(明治)維新後、神職が変わること数回、小田百江が社掌(宮司才の下で一切の事務を行う職)となり、後年、月不詳、作田健治神職たり。

 死亡後、明治三十六年十一月十六日、澤田政悦が社掌に補せられ、明治三十八年三月二十二日死亡、その後、明治四十三年十一月一日、再び小田百江に補せられ、現今に及ぶ。 

 

一.現在の社殿及び工作物

 本殿 木造柾葺流造 縦一間 横一間

 拝殿 木造柾葺入母屋造 縦三間 横三間

 鳥居木造  ? 高さ一丈一尺 九幅一丈二尺 一基

 

一.現在の氏子及びその部落名

 氏子 四百六十戸  部落名十九部落 天間林村大字天間舘のうち、天間舘、中野、原久保、手代森、向中野、鳥谷部、十枝内、松ケ澤、市ノ渡、哘、栗ノ木澤、上原子、白石、原子、金澤、坪、柳平、小又、寺澤

 

一.現在の境内 四百八十坪六合

 

一.現在の財産 なし

 

一.神饌幣帛(しんせんへいはく)料指定年月日

  大正四年七月十三日 青森県告示第二百九十四号

  右のとおりです。  大正四年十月二十九

  上北郡天間林村大字天間舘字小田平四十一番鎮座

  村社天間舘神社  社掌 小田 百江


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