新幹線開業に喜ぶ青森県民と県外就職する高校生

緊急連絡
 哘清悦ブログを見て先日夜電話でお問い合わせ下さった藤崎町の〇〇さん、電話番号を記入したメモを探せないでおります。
 大変申し訳ございませんが、再度ご連絡頂けないでしょうか。 
 「〇〇を秋田県に運んでいるのを見た」という件に関して正確にお答えできる方を紹介致します。
 TEL・FAX  0176−68−4683



 青森県で今最も明るい話題は、県民の悲願である新幹線が県都青森市まで延び、昨年12月4日に開業したことである。県内では新幹線の開業効果を産業振興・景気回復に繋げる取組みが各地で進められている。正月に帰省した人や駅まで送迎した人の多くはその便利さを実感したと思う。

しかし、地元に就職し地元で暮らす事を願いながら、それが叶わず止む無く県外に就職する高校生の事を考えると喜んでばかりもいられない。彼らの多くはいずれその地で結婚相手を見つけその地で暮らす。その地で消費しその地で納税する。生れた子供はその地の学校に入学する。青森県の消費と経済力が落ち、人口が減り子供も減るのは当然だ。

定住者一人が県外に流出することによる経済的損失は、観光客80〜90人に相当するという記事を新聞で見つけた。この論理と試算結果から、県・市町村が最優先で予算を確保し取組まなければならない施策が自ずと見えてくるはずだ。

青森県は、有効求人倍率・平均所得等の経済指標が、ほぼ全国最下位にあるが、その根本的な原因は、県民の意識(自助努力の欠如・他力本願の姿勢)にあると思う。むつ小川原開発の頓挫・六ヶ所再処理工場の誘致など、その積み重ねによる結果だと思う。国や財界に依存せず、自らの地域の資源を見つめ直し、それらの付加価値を高めるための開発に力を入れてきておれば、自分達(青森県)の子供の雇用を自分達で作り出すだけの実力を備えておけたと思う。失った年月は大きいが、今からでも県民が県・市町村と一丸となり、若年者の雇用創出に取組むことが大事だと思う。

 そういう私も野辺地駅から家族に見送られ県外就職した経験者だが、「自分の仕事は自分で作る」と決心し、24歳で会社を辞め帰郷した。その後結婚相手にも恵まれ、両親は孫の成長を見ながら楽しく生活している。ささやかな親孝行と観光客100人分相当の地域貢献ができていると思う。私の家から車で5分の距離にある七戸十和田駅は、観光客を迎えるための駅であって、県外就職する高校生を家族で見送るための駅にはしたくないと思っている。

http://www.yotuba.gr.jp/tsushin/2011/1102/p03.htm


八戸高専地域文化研究センター「地域文化研究」第17号寄稿文

平成21年2月10日
「地域の農業と集落を守るために必要な政策」          

                             哘 清悦
                             www.saso.sakura.ne.jp
目次
機デ清箸鮗茲蟯く問題

 1.揺らいだ食の安全・安心
 2.言葉に求める安心感から数字で確認する安全性へ
 3.表面化したミニマムアクセス米の問題
  (1)不正や偽装を誘発する価格差
  (2)価格差に見出す商機
  (3)正直者が損をする減反政策
  (4)三笠フーズの汚染米の流通を見逃した農水省
 4.縮小した日本の農業
  (1)農地・産出額・就農者数の減少
  (2)食糧自給率低下と欧米の輸出補助金政策
  (3)国策が生み出した限界集落

供ソ戸遒鮗茲蟯く問題
 1.進む少子高齢化と限界集落
 2.増える独身
  (1)消極的な男性
  (2)独身と結婚を天秤にかけて選択する女性
  (3)結婚を躊躇させる収入以外の要因
 3.増える一人暮らし
  (1)一人暮らしの高齢者とその背景
  (2)9割の住民が「住み続けたい」

掘ッ楼茲防要な政策
 1.シルバーハウジング(高齢者世話付住宅)
 2.新規就農者の受け入れ

最後に


機デ清箸鮗茲蟯く問題

1.揺らいだ食の安全・安心
 北海道を代表する銘菓「白い恋人」の賞味期限の改ざん、和菓子の老舗「赤福」(三重県伊勢市)が「伊勢の名物」とうたわれる和菓子「赤福餅(もち)」(300年の歴史を持つといわれ、東海地方の土産の定番となった銘菓)の製造年月日を偽装していた問題が大きく報道された。報道によれば、赤福は約10年前、本社のある三重県伊勢保健所を通し、冷凍した赤福餅の解凍日を製造日にして良いかを問い合わせ、「(食品衛生上)問題ない」との回答を得ている事などから、賞味期限や製造年月日の偽装の他に制度や表示の在り方についても考えさせられる出来事だった。
 2008年1月30日、食品子会社ジェイティフーズが輸入販売した中国製ギョーザで、有機リン中毒とおぼしき健康被害が発生したことを受け、日本たばこ産業が、該当商品を含め「天洋食品」の工場で製造した市販用冷凍食品8商品と、一部個人で購入可能となっている業務用15商品を、いずれも有機リン系殺虫剤メタミドホスが混入している恐れがあるとして回収すると発表した。それは以前からその安全性に不信感を抱かれていた中国産の食品に対する印象を決定付けるような事件であった。通常の農薬散布ではあり得ない濃度の農薬が検出された事から、食品テロの疑いも持たれたが、いずれにしても、その影響で国産の農産物の需要が高まり、青森県の農産物の引き合いも多くなった。ニンニクについては、これまでにない高い金額で取引されたようである。
 安全性に関わる問題の発生により消費者の反応がより過敏になり、小売店の販売量や販売価格にも影響し、高い国産品を仕入れて小売店に納入するよりも、安い外国産を国産と偽って納入する方が、何倍もの利益を得る事ができるという偽装表示を誘発する要因を新たに作り出してしまった。豚肉を牛肉と偽って販売したミートホープ事件も、豚肉と牛肉の価格差を利用して利益獲得を狙ったために起きた事件だと言える。
 国産と偽って販売していた台湾産のうなぎを、正直に台湾産と表示し低価格で販売しようと努力した加工業者がなかなか購入してもらえず苦戦している様子や、日本へ輸出できなくなった中国の養殖業者は生き残りをかけて、日本以外の国へ販路を求めて営業活動を始めていた様子がテレビで報道された。食料自給率40%で輸入に依存している国でありながら、国民の安全性に対する要求は極めて高いように感じる。生産者としてそのギャップの大きさに複雑な思いを抱いている。

2.言葉に求める安心感から数字で確認する安全性へ
 消費者が安全性を求める気持ちはわかるが、それが消費行動に過敏に表れるのは、「化学的根拠」に基づいて判断する事に不慣れで、「イメージ」で判断しているからである。 無農薬栽培や有機栽培にはこだわって購入しているが、残留農薬については、残留濃度の数値を気にしている消費者に出会ったことがない。
 長芋がほしいというある消費者から、「農薬は何回使用しましたか?どんな農薬を使いましたか?」と聞かれ、栽培履歴をメールで送ったところ、農薬を何回も使用している事を知り驚いた様子だったので、私は農協に電話して、抜き打ち検査で調べた残留農薬のデータをメールに添付して送ってもらった。私も初めて見るデータだったが、ニンジンで1成分の農薬が検出されただけ(しかもそれは基準値の3割以下の数値)で、それ以外の農産物全てにおいて何十種類もある農薬の成分が全て「不検出」という結果だった。
 JAS法にも問題があるが、「残留農薬不検出の証拠がないが、無農薬栽培の農産物」と、「無農薬栽培ではないが、残留農薬不検出の証拠がある農産物」と比較した場合、私であれば後者の方を安心して買う。消費者が安全性に対して厳しくなったと言っても、それはまだ表示を含め、「言葉」で判断している段階であり、残留農薬などのように「数値」で確認できるものは数値で判断するといったところまでは至っていない。生産者として、この事も消費者に伝える努力が必要だと感じている。

3.表面化したミニマムアクセス米の問題
(1)不正や偽装を誘発する価格差

 様々な食品の偽装問題が続いていた昨年9月、今度は大阪市の米加工販売会社「三笠フーズ」が、カビ毒で汚染された米や国内では使用が認められていない農薬が検出された米などの事故米を、食用に不正転売していた問題が発覚した。
 それまでの一企業の単独による不正や偽装の問題よりも根が深いと感じたのは、国民一人当たりの消費量が減ったと言え、日本の主食である米で起きた事件である事と、農林水産省が頻繁に調査を行っていたにもかかわらず起きた事件であるという事である。
 三笠フーズは当初、農林水産省の調査にも不正転売を否定し、二重帳簿や虚偽伝票で隠蔽を図るなどしていたようだが、最終的には悪質な転売が明らかになった。
 事故米が食用として広く流通した事件も、豚肉を牛肉と偽っていたミートホープ事件や、加工業者が台湾産のうなぎを国内産と偽っていた事件と同様に、「見た目では判別できないが価格差が大きい食材を扱っている」という点が共通しているように思われる。
 事故米は農林水産省が買い上げた米の中から認定し、工業用糊や接着剤などの材料として業者に入札を行って販売していた、年間平均約2000トン程度が販売されていたようである。私も「まっしぐら」と「つがるロマン」という品種の米を作付しているが、販売価格は1キロ200円に満たない。食用と加工用の違いはあるが、汚染米は1キロ10円台で落札できていたようで、その価格差は10倍以上となる。
 消費者が店で購入する米は、着色米(病害虫により変色した米)や石などの異物を、カメラによって見分け圧縮空気によって取り除く光選別機を通しているので、カビによる着色米は光選別機で取り除く事ができるので、米袋の中に着色米が混入している事はほとんどない。しかし、農薬で汚染された米はその機械で取り除く事もできないし、食べる際の匂いや食べた時の味で異常に気付かないようなレベルの濃度であれば、一般の米穀と判別するのは極めて困難である。
 商売を行う上で「信用第一」という言葉がかつてはよく使われていたように思うが、今はあまり聞かれなくなったように思う。今は言葉としては聞かないが、「利益第一」を最大の目的にしているような姿勢の企業が増えたように感じる。そしてその利益追求の手段の選択が、消費者に喜ばれる商品の開発や製造コスト低減など、自ら努力しなければならない手段の選択ではなく、「安く仕入れる事ができる物を、いかに品質の良い高価な物に見せかけて売るか」というように、偽って消費者や顧客を騙すという手段を選択する企業や業者が増えたように感じる。

(2)価格差に見出す商機
 食用の米としては流通させる事ができない事故米は当然安い価格で取引される事になるが、食用の米を取り扱い「安全・安心・信用」をモットーとする企業や業者には魅力の無い事故米も、「不正・偽装」による利益獲得を最初から目的とする企業や業者にとってはは、非常に魅力的な商材に映る。
 青森県の米についても似たような話がある。
 旧食糧管理法の時代は、冷害に強く収量が多い品種の米が稲作農家に喜ばれていた。米の味は稲作農家の収入には関係がなかった。稲作農家はいかに政府に「生産者米価」を高く設定させるかという事が最大の関心事であり、消費者の評価は全く気にしていなかった時期があった。その頃は生産者と消費者の間に政府が介在し、両者がお互いの顔が見えない状況だった。
 そのような農政活動の成果が功を奏し、市場原理で価格が変動する野菜や果物などと異なり、冷害の変動要因はあるにしても、比較的収入を計算できる稲作への投資(規模拡大)が増え、一方ではそれとは逆に消費者の米離れが進み、需要と供給のギャップが次第に大きくなり年々在庫が増える状況になってしまい、減反政策を実施しなければならなくなった。新潟県は時代の変化をいち早く察知し、食味において消費者の評価が高い「コシヒカリ」のブランド化に早い段階で成功したが、その流れに乗り遅れた青森県は、法律が食管法(食糧管理法)から食糧法(作る自由、売る自由)に変わってから、販売面で苦労する事になる。
 「開発した新品種の米を初収穫した際に試食会を企画し、大手の流通業者の担当者を招いて売り込みを図ろうと考えていたが、事前に感想を尋ねられた時の対応を打ち合わせしていた大手の流通業者の担当者らは、皆一様に首をひねった」という話を聞いた事がある。事実かどうかはわからないが、その話の続きは次のようであった。
 買い手側が「おいしい!」と評価すれば、当然売る側に「今までの米よりも高く買って下さい!」と要求される。しかし、「首をひねる」という動作で、「あまり良い評価ではない」というメッセージを伝えることによって、「価格はともかくなるべく売れ残る事がないように売って頂けないでしょうか」という言葉を引き出す事ができる。それによって、実際は食味が向上した米をそれまでの米と同じような価格で仕入れることができる。
 前述の話は、青森県の米がなぜ低価格で取引されているのかについて議論している中で紹介された話である。考えてみれば容易に想像できることなのだが、交渉事における両者の強かさの違いを如実に示すような話であった。
 食味においては「おいしい」とは言わない彼らは、商取引上においては「青森県の米はおいしい」と言うらしい。「むつほまれ」という品種の米を作付していた頃、その米が流通業者の間では、「ブレンド米の原料や外食用に適している」と評価されているという話を聞いた。私からむつほまれを直接購入した東京都の消費者や弁当屋さんから、むつほまれの感想を聞いたところ、「安い、産地直送なので信頼できる」「炊立てを食べてみたがとてもおいしいかった」、「冷めるとあきたこまちに劣るが炊立ては十分だ」という評価だった。流通業者の評価と概ね一致した評価だった。
 しかし気になったのは「ブレンド」と「外食用」という言葉だった。「全国で販売されているコシヒカリの量は、生産されているコシヒカリの量よりも多い」とか、「○○○○100%と表示していても、50%入っていれば良心的」などという声を聞いて、もしかしたらむつほまれは高級米の増量剤として使われているのではないかという疑念を抱いた。
 2008年11月25日(火)東奥日報朝刊21面に掲載された記事を紹介したい。
 『「青森県産米は今が旬だよ」。11月上旬、県南地方のコメ農家の男性(59)に、関東のコメ小売業者から、誘い文句とともに電話が入った。低価格志向を背景に、有名産地の銘柄米より安値で食味も安定した本県産や北海道産の引き合いが強いという。この業者は「つがるロマン」を運賃込み一俵(60キロ)13,600円で買いたいと申し出た。男性は「代金回収のリスクがあると思い断ったが、応じる農家もいるだろう」と明かす。
 津軽地方の農家の庭先では「くず米」と呼ぶ加工用米を集めに来ていた業者が4、5年前から、主食用のコメを、農協や商系の集荷組合を通じた系統販売より高値で買い入れるようになった。
くすぶる不満
 いわゆる「庭先販売」と呼ばれるコメ売買。「夜明け前の午前5時ごろから4トントラックが来て、毎日三度は回って来た。よほど商売になるのだろう」。事情を知る同地方の農家の男性(59)が語る。
 男性によると、今秋の庭先価格は「まっしぐら」で一俵11,500円から12,500円。農協に出荷するとJA米で10,900円の概算金(仮渡し金)と、販売実績に応じた支払いがあるが、目先の現金収入に流れる農家は少なくない。』
 店頭で販売される米の小売価格が同じだとすれば、農協よりも高い価格で仕入れた小売業者がその米をどのように販売しているのかが気になる。「青森県の米がうまくなるとうまくない」という言葉も聞いたことがある。それは、「青森県の米がおいしくなる(味が良くなる)と仕入れ値が上がるので商売上うまみがなくなる(利益が減る)」という意味らしい。

(3)正直者が損をする減反政策
 2008年11月25日(火)東奥日報朝刊21面の記事の一部を紹介したい。
 『減反40年、協力農家に恩恵薄く、矛盾はらむ自由販売
 「農協などを通じ生産調整(減反)に協力して補助金をもらうより、協力しないで全量を庭先販売に出す農家の収入の方が安定している」。男性は、減反をめぐり農家にくすぶる不満を代弁する。
 1995年の食糧管理法廃止以降、コメは自由に作って自由に販売できるようになる。一方、コメ消費量は60年代に比べ約4割減少、自由にコメを作ると米価が下落して農家経営を圧迫するため、国は、作付けするコメを減らす減反政策を40年近く続けてきた。
 しかし、米価下落に歯止めはかからず、目標を超えて作付けされる過剰米もなくならない。2005年産以降、コメ価格センターの平均で16,000円台から14,000円台へと3年連続下落した。
「ばんそうこう」
 08年産で政府・与党は10月、減反協力者のコメ作付けに10アール当たり3,000円を払う措置や、過剰米を政府が買い入れる方針などを示した。だが衆院選を控え、農村票を意識した選挙対策と冷めた見方を示す関係者は多い。「ばんそうこうを張ったりはがしたり」。一連の国の対応を、県内のある団体幹部はこう郷楡(やゆ)した。
 減反で協力農家に手かせ足かせをはめながら、政策的に維持された価格の恩恵を、協力しない農家が受けるという現行制度が抱える根本的な矛盾・全農県本部米穀部の中谷幸茂部長は「減反を続けるなら全員が参加する仕組みに、生産・販売の自由というなら、減反実施者が恩恵を受けられる仕組みにすべきだ」と主張する。
 10、11月と2回にわたり県内のコメ関係者を集めた県の会議。現場と乖離(かいり)した政策の矛盾を指摘する声が相次いだ。
 「補助金の配分に不満があって減反をやめた」とする減反政策に批判的な農家もあえて巻き込み、会議では減反の課題を含め本県の水田農業がどうあるべきか議論を詰めている。「09年度以降の県の施策に反映させるとともに国へも提案していく」と県。世界的な穀物需給のひっ迫、食料自給率向上への対応も視野に、食料供給県の明日を探る取り組みが続いている。(政経部・相木麻季)』
 過剰米対策として40年余り続いた減反政策だが、「まじめな人が損をし、ずるい人が得をする」という根本的な欠陥がいまだに改善されていない。それは生産現場だけではなく、流通・販売の現場においても言える。
090210表1旧食糧管理法と食糧法の比較

(4)三笠フーズの汚染米の流通を見逃した農水省
 2008年9月30日(火)東奥日報朝刊2面の記事を紹介する。
 『農水省は三笠フーズに百回近く調査に行きながら不正を見逃し続けた。二重帳簿だったとはいえ、記された転売先に確認の電話一本入れれば容易にウソが発見できたはず。調査は完全に形骸(けいがい)化していた。用途に定められていた工業用のりも、実際にはコメの原料需要がないことは業界の常識だった。
 コメ業界関係者は事故米取扱業者への同省の検査について「不正に気付きながら見て見ぬふりを続けていたとしか思えない」と厳しく指摘した。
 「農水省がミニマムアクセス(最低輸入量)米の販売を止めることは考えられないのか」。10月下旬の会議で全国消費者団体連絡会の阿南久事務局長は主張した。事故米流通の前段階となる、輸入されたミニマムアクセス米について、農水省が販売と検査の両方を行っている点こそが不正流通の要因との考えからだった。
 これに対し、会議の座長である吉田俊幸高崎経済大学長は「現行の食糧法の範囲内で議論したい」と応じ、議事進行に阿南氏の問題提起はかき消された。企業努力で徹底した商品管理体制を構築した、スーパーなど流通業界や外食産業からは、規制強化を目指す農水省の動きが「権限拡大による同省の“焼け太り”狙いではないか」(流通関係者)との声も出ている。』
 この記事で私が注目したのは、’誠緇覆見て見ぬふりを続けたことと、汚染米流通の背景にミニマム・アクセス(最低輸入量)米があることの2点である。
 1986年から1995年にかけて行われた通商交渉において農産物への適用が義務付けられ、1993年のウルグアイ・ラウンド農業合意によって、これまでほとんど輸入がなかった品目は、「最低限の輸入機会を提供」することになった。これをミニマム・アクセスといい、日本の場合、米が該当した。
 政府は、ミニマム・アクセス米の輸入に当たっては、「国産米の価格・需給に影響を与えない」よう、加工用中心の輸入・販売を行うなどの措置を講じており、ミニマム・アクセス米の輸入に伴い、米の生産調整が強化された事実はないと言ってきた。
 2000年は日本の消費量の7.2%の76.7万トン(玄米)が輸入されている。これらは主にアメリカ・タイ・オーストラリア・ベトナム・中国産である。三笠フーズが転売した事故米は、それらの国の米の他に国産米も含まれる。
 ミニマム・アクセス米が政府の曖昧な説明によって「全量輸入する義務」があるかのように思われているが、法的義務の内容は、「輸入機会を提供すること」に過ぎない。
 事故米流通の事件で農水省の調査が問題になったが、WTOの貿易交渉の内容まで踏み込んで問題点を洗い出そうとする動きを阻止するような動きがある事が気になった。
 「日本人は、ルールを守る事は得意だが、ルールを作る事は下手だ」と言った人がいた。実は農水省がルールを守れなくなるほど、作ったルールが欠陥を有していたのではないかと感じている。「国産米の価格・需給に影響を与えない」という条件でミニマム・アクセスを政治決定により受け入れたが、実際に国内に入ってしまった輸入米を、どうやって国産米の価格・需給に影響を与えないように流通させるのだろうかと疑問に感じていた。「農水省が検査して事故米だと判断した時点で返品すれば良かったのになぜそうしなかったのか」という疑問の声も上がったが、行政の立場では何ともしがたい政治的な圧力が働いていたのではないかと想像してしまう。「現行の食糧法の範囲内で議論したい」という発言も、「政治の問題にまで発展させたくない」という意図が感じられ、政治家に配慮した発言であるように感じた。
 農水省と業者がもたれ合う構造は、政治的課題である貿易交渉において、日本の農林水産業や国内企業・業者が打撃を受けるような決着がなされてきた結果、特に価格差に対応するための制度については、矛盾を抱えた制度でありながら改善されないまま実施しなければならなくなり、それをそのまま現場に押し付ける時に、企業や業者に協力してもらう見返りとして、不正受給の可能性がある事を認識しつつも、見て見ぬふりする事で報いるという事を繰り返してきたのではないかと思う。もたれ合いの構造は長年の積み重ねによって出来上がった構造ではないかと考えている。
 政治の未熟さとそれによって作り出された欠陥制度の穴埋めをするために、行政ができる事は限られてはいるものの、その範囲内でどうにか運用して「政治の問題」が表面化しないように誤魔化してきたと思う。しかしそれはとうとう限界を迎え、「政治の問題」として表に出して議論すべき時がようやく来たのだと思っている。
 2008年9月30日(火)東奥日報「核心評論」の記事の一部を紹介したい。
 『汚染米許した甘い行政、農水省の再編検討を
(前文省略)問題の本質は「川下」ではなくて、「源流」である農水省側にある。同省は、業者側に検査を事前通告するなど対応が甘く、汚染米を着色して区分する手間も省いていた。検査か着色か、どちらかを確実に実行していれば事件は予防できたはずだ。
 それができなかったのはなぜか。根底に、牛海綿状脳症(BSE)対策に絡む食肉偽装事件や脱税が繰り返される豚肉の差額関税制度と同様の、行政と業者がもたれ合う構造があるからだ。
 2001年秋のBSE対策で、農水省は食肉業者と「二人三脚」を組む形で国産牛肉の回収・焼却を急いだ。その結果、業者は格安の輸入牛肉を「国産」と偽って国に買い取らせ、国の補助金を不正受給した。
 差額関税は、国産豚肉の値崩れを防ぐための制度だが、通関時に安い肉と高級な肉を混ぜることで高率関税を免れることができる。このため、10億円単位の巨額脱税が後を絶たない。
 事件の度に、農水省は「制度を悪用する業者が悪い」と説明してきたが、簡単な虚偽で巨額の利益を得られる仕組み自体が問題なのだ。農水省は、牛肉の回収や豚肉の安定供給などの実務面で業者に大きく依存しており、「持ちつ持たれつ」の関係が犯罪を呼び込むような甘い制度を許しているのではないか。(後文省略)
(共同通信編集委員 石井勇人)』

4.縮小した日本の農業
(1)農地・産出額・就農者数の減少

 1984年から2006年までの22年間で、国内の農地・産出額・就農者数がどれだけ減少したのかを表2に示した。農地が約16%、算出額が約28%、就業者数が約44%減少した事がわかる。就業者一人当たりの農地は、約1.2haから1.9haと5割以上、算出額は約259万円から337万円と約3割増えた事になる。ただし機械化、設備投資、資材の値上がり等の経費も増えている可能性もあり、算出額の増加割合がそのまま所得の増加とはならない事を念頭に置かなければならない。
 そして表2では2006年の時点で65歳以上の就農者数が47%となっているが、2005年のデータでは、「農業を主な仕事とする人のうち、65歳以上が57.4%」という数字が出ている。この数字を見て限界集落の定義を思い浮かべた。限界集落の定義は「65歳以上人口比50%以上」で、「高齢化が進み、共同体の機能維持が限界に達している状態」を示している。日本の農業は既に「限界産業」と呼ばれるような状況にある。
090210表2農地・算出額・就農者数の減少

(2)食糧自給率低下と欧米の輸出補助金政策
 表3は先進国の食料自給率と個別所得補償の割合を示しているが、1961年から2003年までの42年間で、他の先進国が食料自給率を高めている間に、比較対象として取り上げた国の中で日本だけが低下させている事がわかる。
 そして農業所得に占める個別所得補償の割合を見ると、日本がいかに農業に力を入れて来なかったかがわかる。日本の7%という数字は、減反を強化するための転作(米以外の作物の作付)奨励金を該当させているのではないかと思う。決して国内農家の経営を守り、日本の農業を守り、食料自給率を維持あるいは高めようと考え、積極的に配分している予算(支出)であるようには思えない。
 アメリカとフランスに至っては、食料自給率は128%と122%であり、100%を超える分は輸出する事になる。輸出するだけの力があれば農業所得に占める個別所得補償の割合(税金の投入)が少なくても良さそうなものだが、46%・52%と日本の7%に比べ6〜7倍も高い。それらから読み取れる事はそれは欧米の国家戦略であり、それは自国(あるいは国を動かす一部の資産家)の利益のみを追求し、決して世界平和を願っての戦略ではないと思っている。
 情報・金融・石油・食料の4つを支配する者が世界を支配できると言われている。逆に言えば、それらを支配されると日本は従属しなければ生存できない弱い国になる事を意味する。石油はともかく食料までも外国に依存しなければならないほど弱体化したとも言える。金融においても政治家の情報収集能力や交渉能力の不足によって、国の財政は破綻状態に陥り、それが地方と農業の衰退の遠因でもあり根本的な原因にもなっていると思う。
090210表3と表4

 JanJanNewsのHPから松平尚也氏の【G8洞爺湖サミットオルタナティブ】サミットは食料危機解決に役立たない〜G8が世界を飢えさせる〜(2008年7月8日)の記事から農産物の貿易に関する記事の一部を紹介したい。
経済のグローバル化と食料危機
 食料危機の原因に上げられるのが、気候変動、主要穀物市場への投機的資金の流入、バイオ燃料作物栽培の増加だ。実際、今年の2月〜3月にかけて農産物市場に1日10億ドルの資金が流れ込み、農産物市場を暴騰させた。
 バイオ燃料用作物生産の爆発的な増加が大きな影響を与えている事も事実だ。日本のメディアでもこうした影響に関して相次いで報道がなされた。しかしいまだ声高には語られていない影響が経済のグローバル化、すなわち農産物貿易の自由化だ。
 国際機関や先進国は、この20年、貿易の自由化が世界を豊かにさせるとして、経済のグローバル化を推進してきた。特にWTO(世界貿易機関)が発足してからは、世界中に自由化の嵐が吹き荒れた。その結果、途上国においては主食でさえも自由化が強いられてきた。国際貿易の理論に則れば、途上国は労働力の安さを生かして、先進国に農産物を輸出できると誰しも考えるであろう。しかし実際にはその真逆の現象 ― 先進国から途上国への農産物の洪水のような流入が起こったのだ。
輸出補助金という悪魔的な政策
 途上国の農産物輸入激増の一つの原因となったのが、米国やEUが行っている農産物への輸出補助金政策だ。米国やEUは、途上国に貿易自由化を強いる一方、自らは膨大な輸出補助金を使って、安価な農産物を輸出している。特に米国は自国の農産物輸出振興のために綿花やコメ、小麦や大豆の輸出に補助金を行使し、国際市場にダンピング輸出を行ってきた。
 その額は農産物価格の平均3割〜5割に上るため、途上国は価格面で競争できず、農産物輸入が激増したのだ。農産物の急激な流入は途上国の食料生産を浸食し、小農民の生計を破壊した(※ 世界に8億いる栄養不足人口の8割は小農民だ)。貿易の自由化は農産物輸出の失敗とも重なり、実に途上国の約70%が食料の純輸出国から輸入国に転落してしまった。
 国連やNGOは途上国の食料自給率の低下を憂慮し、途上国への貿易自由化の影響に関する報告書を相次いで発表している。報告書によると、セネガルでは貿易自由化後わずか数年でEUの補助金付き鶏肉が市場を席巻し、現地の鶏肉産業の実に70%が一掃された。
 ガーナはコメの関税を100%から20%に下げたためコメ輸入が25万トン(1998)から41万トン(2003)に激増。43%あった国内コメ農家の割合は29%まで落ち込んだ。モザンピークでは植物油輸入が激増。10万戸の零細油製造者と原料を栽培する100万戸の農家に影響を与えたという。』
 世界経済のグローバル化は世界に平和をもたらすかのように思われたかも知れないが、結果は全く逆であったと言える。
 私は貿易というものは、自国で賄えない物についてはそれを多く持っている国から買う事を基本にすべきだと考えている。国家戦略として相手国の農業に壊滅的な打撃を与えることがわかっていても交渉のテーブルにつかせ、その場で輸入する事を約束させるような強引な手法を基本とすべきではないと考えている。特に一部の資産家が政治家を動かし、自国民全体の利益ではなく、私企業の利益誘導のために国を利用する事があってはならないし、政治家がそういう一部の資産家の代弁者になってはいけないと考えている。
 表5は平成18年度の青森県の産業の外貨獲得状況を示したものであるが、農林水産業
と商業は黒字だが、サービス業と製造業が大幅な赤字となっており、農林水産業と商業だけで他の産業の貿易赤字を解消できるような金額ではないことがわかる。世界経済のグローバル化と輸出補助金政策により、日本(47都道府県)の農業も打撃を受けて来た。国際競争力のある産業(サービス業・製造業)を起こしたり、企業誘致できなければ、青森県の労働者が所得の多い仕事を求めて県外に流出せざるを得ない構造となっている。

(3)国策が生み出した限界集落
 都市部と地方の格差・地方及び集落の衰退は全国共通の課題であり、国策に問題があったと言わざるを得ない。
 三笠フーズの汚染米の問題は、93年にミニマムアクセス米受入を決めた日本政府の食料政策・農業政策・外交の問題が表面化したものであり、国産米の価格・需給に影響を与えないよう、加工用中心の輸入・販売を行うなどの措置を講じると言っていた農林水産省の方針そのものが元々無理だった事を証明した事件だ。
 アメリカの戦略と圧力によって導入された学校のパン給食が、今日の日本人の米離れを生み出し、流通の実態が不透明なミニマムアクセス米が市場を圧迫し、国内の稲作農家に更に減反を要求する事態となった。
 減反に協力しても米価が下落し再生産可能な米価を割ってしまい、大規模稲作農家ほど苦しい経営を余儀なくされた。地域の中核となる担い手に農地を集約し規模拡大を勧めた政策の矛盾も露呈した。
 農業で生活できるからこそ集落に住み続ける事ができる。その農業が集落の人々の生活を支える力を失った。娘を生活が大変な農家に嫁がせる親もなく独身が増える。当然少子化が進む。収入が少ないので息子は農業以外の仕事に従事する。農地の借り手はいないので、離農した農家の農地は耕作放棄地となる。農業をしないのであれば集落に住み続ける理由はない。生活に便利な中心市街地に移り住む。介護が必要になり施設に入所したり、配偶者に先立たれた高齢者も集落を離れるので空き家が増える。運動会や盆踊りも参加者が年々減り開催が困難になる。限界集落は、国の愚かな政策によって作り出されたものだと思っている。
 各政党がマニフェストに掲げる政策、演説の内容や公約も大事だが、有権者はその政党やその政治家がこれまでに行ってきた結果こそ厳しく見極めて評価しなければならない。
 衆議院選挙が今年は必ずある。国の政策を大きく変えるチャンスである。食料・農業・農村を本気で守る政党や政治家を選ぶようにしたい。


供ソ戸遒鮗茲蟯く問題

1.進む少子高齢化と限界集落
 2006年4月2日の朝日新聞に次のような記事が掲載された。
 『「少子化が地域のレベルで人口減少を引き起こしている。このままでは、教育、防災、医療などのサービスが維持できず、生活水準が低下する状態が、日本全体に拡大する」。大淵寛・中央大教授(経済人口学)はこう予測する。
 高度成長期の過疎化は、農村部から人が流出したことが原因で、90年代に入り人口の自然減が、県レベルで初めて現れる。04年には25道県で自然減を記録した。
 国立社会保障・人口問題研究所では、日本人女性1人が産む子どもの平均数を示す合計特殊出生率が1.29など04年と同じ状況が続き、国際間の人口移動がないと仮定して長期的な変化を試算している。今から200年後には日本の人口は1千万人を切り、700〜800年後には黒滝村と芦川村を合わせた人口を下回る。西暦3300年までに日本人は消滅する。長期的に人口減少を食い止めるには、男女2人で次世代の男女2人を残すことが必要となる。人口置換水準と呼ばれる出生率は約2.1だ。「政府の対策は展望と迫力に欠けていた。出生率を人口の置換水準まで回復させることを数値目標として示すべきだ」と大淵教授は話す。』
 注:黒滝村=(奈良県吉野郡、2008年1月1日の人口は1,026人)
   芦川村=(山梨県東八代郡、2006年7月1日の人口は549人)
 前述の国立社会保障・人口問題研究所の日本の人口予測を基に、青森県と七戸町も単純計算して見たが、青森県は西暦3000年で人口ゼロ、七戸町は西暦2800年で人口ゼロとなる。ただし、それも都道府県間や市町村間の移動がないと仮定した場合であって、
仕事がなく人口流出が多い本県(2008年12月1日:1,393,670人)においては、人口ゼロはもっと早いと考えられるし、七戸町(2008年11月30日:18,293人)においては県よりも200年早いという試算だが、人口移動を考慮すると人口ゼロになるのはもっと早い時期になると思われる。
 人口ゼロの前に気にしなくてはならない問題は、社会として成り立つ人口を維持できるかどうかである。限界集落という言葉が使われるようになったが、数百年後には限界地域あるいは限界社会という言葉も使われるのではないかと思う。
090210表5限界集落の定義
 国土交通省の「過疎地域等における集落の状況に関するアンケート調査」(調査基準2006年4月、2007年1月中間報告)がある。
 『この調査は、過疎地域を抱える全国775市町村に対してそこに所属する62,271集落の状況をたずねたものである。その要点は以下のとおり。
●高齢者(65歳以上)が半数以上を占める集落が7,873集落(12.6%)ある。
●機能維持が困難となっている集落が2,917集落(4.7%)ある。
●10年以内に消滅の可能性のある集落が422集落、「いずれ消滅」する可能性のある集落が2,219集落、合わせて2,641集落ある。
●この「10年以内」と「いずれ」を合わせた数は1999年の調査と比較して284増加している。
 なお、この調査にいう「集落」とは、「一定の土地に数戸以上の社会的まとまりが形成された、住民生活の基本的な地域単位であり、市町村行政において扱う行政区の基本単位」のことで、農業センサスにおける「農業集落」とは異なる概念であることに留意が必要)。』

2.増える独身
(1)消極的な男性

 少子化(出生率の低下)原因は、女性一人当たりの出産数が減った事と、結婚して子どもを持つという選択をしない女性が増えた事が原因だと考えられる。
 私が農家の長男であるという事が大きな理由なのだが、16年前に約4年務めたトヨタ自動車株式会社を退職するという意思を上司に報告した際に、「テレビを見ていると農家にはなかなか嫁が来てくれなくて大変そうだけど大丈夫か?」と心配して頂いた。上司の口から最初に出たその言葉が意外だったので驚いた事と、私の将来の事を実の親のように心配してくれた事をとてもありがたく感じた。
 幸い私は27歳で結婚でき、子どもも二人授かった。
 しかし、農家だけではなく、役場職員や農協職員でも独身の人がたくさんいる。
 旧天間林村では、行政が公費を投じて独身男女を対象に出会いの場を作るという対策を行っていた。バーベキュー、カラオケ、物まね芸人を招いてのパーティー、一泊二日のスキーツアー、都会の女性を対象にした2泊3日の農作業体験ツアーなどなど。農作業体験ツアーに参加していた都会の女性と意気投合し、結婚まで辿り着いたのは2組あるらしい。
 ニンニクの収穫体験で圃場を提供した農協青年部の先輩(私より5歳年上)からその時の様子を聞いた事があるが、男性の参加者が個々に女性に近づいてニンニクの掘り方を教えたり、トラクターの運転の仕方を教えたり、それらを口実に話かければいいのに、男性だけが一ヶ所に固まり遠くから女性が楽しそうに農作業をしているのを見ているだけだったそうだ。
 他のイベントでもそうだが、逆に既婚の男性(スタッフ)の方が自分の恋愛経験・結婚生活・子育てなどの話題で独身女性を楽しませ、本人も若い女性と会話ができる事を楽しむという傾向があった。
 その農作業体験ツアーの最後に行ったアンケートで、「もっと男性から話しかけてもらいたかった」という回答が結構あったらしい。折角遠くから来てくれたのに申し訳ないという気持ちになった。
 独身男性に共通して言える事は女性に対して消極的であるという事だ。農作業体験ツアーを行う前に独身男性の参加者を集めて女性と会話するための講習会まで行っていたようだが、実践で発揮するのは難しかったようだ。
 町村合併してからは、成果が少なかった事もあり、次第に縮小廃止された。またそれだけではなく、最後の方は、折角行政が企画し募集しても、独身男性の参加者が極端に少なくなった事も事業継続を難しくしたと思う。女性に話し掛ける以前に、そういう企画に参加しようという意欲さえも持続させる事ができなかったように思う。
 動物の世界でもメスを巡ってオス同士が闘う場面をテレビでも良く見るが、種を守るために強いオスの子孫を残すというのは自然の摂理かも知れない。身体的な強さだけではなく、精神的な強さも求められているように感じる。

(2)独身と結婚を天秤にかけて選択する女性
 独身の男性が増えるという事は、同時に独身の女性も増えるという事を意味する。
 また、独身は独身でも未婚の独身と離婚による独身がある。私の妹が友人の結婚披露宴
に出席した際に、自分以外の同級生6名が全員離婚していたのには驚いたと言っていた。 農業委員会の結婚相談員を務めている女性がある会議で、「独身の女性が自分の地区にもいるにはいるけれど、姉が離婚したのを見たその妹が結婚はしたくないと言っている。」と話していた。その時はそれ以上踏み込んだ話はなかったが、私がその後男女共同参画について勉強するようになってから、その原因が相当根深いものであると思うようになった。
 独身男女が結婚に至るまでには一定のプロセスがある。先ずはお互いの存在を知り合うきっかけが必要であり、何事にも積極的で社交的な人はその機会も増えるが、職業や職場環境にもよるが、どんな仕事熱心で真面目で評判が良くても異性との出会いの機会が少なくては好機に恵まれない。
 次はお互いの存在を知った時に、相手に好感を持たれるかどうかという事になる。最初の判断材料は見た目となる。容姿は勿論だが服装からもその人の人柄を感じる事ができる。
 余談ではあるが、同年代の女性からはどのように見えるかはわからないが、40歳の私には、ブカブカの作業ズボンをパンツが見えるくらいに下げてはいている若い男性を見るとだらしなく見えて仕事もダラダラやるような印象を受ける。それは裾が明らかに地面に
着いていて裾がモップ代わりになっているようなジーンズを履いている女性にも言える。
 そして次にお互いが好感を抱いた相手と会話を交わして相手の内面に接する事になる。交際し会話を通じて、自分の価値観や相手に対する期待値と比較しながらお互いに結婚し家庭を持つ事が自分の幸せにつながると確信できてようやく結婚できるものと考えている。
 しかしその時既に、自分の職業を持ち安定した収入を得て、自分の時間と自分のお金を自分のためだけに使う事ができ、また、そういう生活に満足している女性が、結婚し子どもを持つ事にそれ以上の幸せを見い出せなければ、独身のままでいる事を選択するのではないだろうか。
 都市部ではそうでもないだろうが、地方において男性一人の収入で家族(妻と子ども)を養える業種と言えば、公務員とごく一部の優良民間企業だけではないだろうか。業種比較をした場合、一次産業である農林水産業は一人当たりの収入・所得においては最も低いと思われる。「農家に嫁が来ない」ではなく「収入の少ない人(家)には嫁が来ない」という見方も必要だと思う。私が住む七戸町の哘地区は30年前は45名位児童がいたが、今はその3分の1位にまで減った。ところが東北町の鶴ケ崎という地区はどの家にも嫁がいて、子どもも減っておらずむしろ増えたのではないかという話を聞いた。小川原湖に近いその地区は、長芋の農業収入の他にシジミ漁による収入もあり、年収3,000万円を超えると思われる家もあるらしい。「収入が多くゆとりある生活を実現できる」と提示できる事が、女性に結婚を選択させる要因にもなり、安心して子どもを3人以上持つ事にもつながっているように思う。

(3)結婚を躊躇させる収入以外の要因
 独身の自由(楽しみ)と負担と、結婚して妻・嫁・母となった場合の自由(楽しみ)と負担を天秤にかけて考えた場合に、結婚を躊躇させる要因に「夫の親の介護」も含まれてきている事は無視できない問題だと思っている。現に私の家でも祖母を施設から連れてきた時の介護は嫁である母がほとんど行っている。体重が60kgもある祖母を私も車いすに乗せるのを手伝ってみたが、若い男性でも大変な仕事だと感じた。家事・育児・農作業など他の事も勿論あるが、今回は介護についてのみ考えてみたい。
 男女共同参画について勉強会を多数開催し、地域でもその啓発活動に尽力されている女性からこの問題に関するメールを頂いた。七戸町連合PTA会長という立場からも、独身が増える要因に学校教育の影響があるという事も認識させられる内容だった。今後は学校の教育現場においても、男女共同参画の視点から個人の人格や個性を抑制するような刷り込みが行われないように見直していきたいと思う。
 本人の了解を得たのでその一部を紹介したい。
 『青森県の次期総合計画から「男女共同参画社会の実現」が仕組みづくりの土台から無くなり、一つの施策としてやっとわずかな何行かが残った感じになりました。今まで、5つの社会像をつくる仕組みづくりとして青森県の基本計画に「男女共同参画社会の実現」が根っこにど〜んと入っていたのですが残念なことです。
 男女共同参画社会の実現は、国際的にも大幅な遅れをとっている日本だと批判されながらも、なかなか進めたくないのか行ったりきたりです。
 先日話しましたが男女共同参画フォーラムで「私は男子厨房に入らずを今でも実行している」と県の指導的立場にある人が言い、何のためにここに来ているのかをわかっていない発言をしていたことも、ハア〜???って感じでしたから。
●日本は、2006年国連開発計画「人間開発報告書」より
    HDI(人間開発指数)・・177ヶ国中7位なのに
    GEM(ジェンダーエンパワーメント指数・女性の能力を生かしているか)
               ・・・75ヶ国中42位
●2008年スイスの民間研究機関「経済フォーラム(ダボス会議)」による
    *「ジェンダーギャップ指数(男女平等等の指数)」は
               130ヶ国中98位(前年は91位)先進国で最下位
という結果を踏まえないでは、これからは先進国として国際社会へは入っていけないのです。実際、2007年、団塊の世代が大量退職し、15年後は75歳になり後期高齢者となります。
 介護を必要とする年代になった彼らを、団塊ジュニアが介護を担うのですが、その年代は今の30代。結婚しないできない男性が多く、しかも今まで当てにしてきた妻はいません。
 まさに介護は男性問題となるという指摘があります。(介護される側は、圧倒的に女性が長生きなので女性問題といえますが)男性でも厨房に入らないのがかっこいいとは言っていられない時代が来るのです。  
 幼い頃から自分のことは自分でできるように、何でも男女の区別なくできるようにしておくべきと思います。また、なぜ結婚できない男性が多くなるか?という疑問には、当たり前でしょう・・と言いたい。
 結婚して幸せになる気がしない、からです。これからは黙ってついていく様な女性はあまりいないからです。コミュニケーションを大切にできることが欠かせません。
 周りをみてみると、女性達のうめき声があまりにも多く、男性らが理解しようとしない現実は、社会の構造そのものだと思わざるを得ません。
 それから、偏った性差別意識は、学校でも作られていきます。いつでも男子が先という
感覚は学校で顕著です。学校の名簿も混合が望ましいと思います。必要に応じて別の名簿を用意しておけば済むのですから。いつも優位に立っている人からは、いつも後回しにされている人の差別感はわからないのかもしれませんし、それも不思議じゃなくなっていくことも怖いです。学校の校長はじめ、先生方もジェンダーバイアスがかかっているのが現状なので、なかなか難しいですが。
 ある小学校の入学式で、「元気一杯の男の子からです」「笑顔がかわいい女の子からです」というような紹介が先生からあったそうです。現実には、元気なのは圧倒的に女の子たちで、保護者からも笑いが出たそうです。保護者も女の子のほうが元気なことに可愛さと共に違和感とか恥ずかしさとかが混じっているのです。その感覚も大人が持っているジェンダーですね。そのように、男の子は元気なもの、女の子はかわいいもの、という意識が先生にあるのです。そんな意識の先生方に教育されるのですから、子どもたちは被害者にも成り得るのです。男女に関係なく、元気で笑顔が可愛いじゃありませんか。』

3.増える一人暮らし
(1)一人暮らしの高齢者とその背景

 2008年12月4日(木)東奥日報朝刊16面の記事で紹介されていた女性を例に、一人暮らしの高齢者について考えてみたい。
 南部町に住む78歳のその女性は、夫を亡くしてから12年目で、ひざ痛に耐え、老いと向き合いながら、淡々と一人暮らしの生活を続けている。人生の半分を仕事、息子の養育、夫の介護に費やした。働き口を求め都会に出た息子たちとは音信不通との事。
 ここで私が最も気になったのは「息子たちとは音信不通」という点だ。就職先が無くて地元を離れることは理解できる。都会で仕事が見つかり今でも働き続けているから戻って来ないというのも理解できる。しかしなぜ中高生でも携帯電話を持つようになった今の時代に「音信普通」なのかが理解できない。
 記事の内容からはその背後までを読み取ることはできなかったが、「親子の断絶」という理由以外に私には考えることができない。
 私がその女性の子どもであるならば、仮に長男ではなくても母親の健康状態は気になる。食事・通院・介護などの日常の生活のことも気になるので生活費(お金)のことも当然気になる。仮に仕送りが困難な状況にあるとしても電話で様子を聞くこと位はできると思う。
 『女性は働き詰めの日々を送ってきた。朝は新聞配達、昼は近くの農家での作業。息子二人と義姉の子どもの三人を育てた子育てが一段落してから義父が倒れ、さらに夫が51歳の春、出稼ぎに行く直前、脳卒中を患った。20年以上寝たきりの二人を介護した。昼は仕事の合間、二人の様子を見に家に戻り、夜は1−2時間おきに起こされた。
 義父、夫が他界し一人暮らしとなり10年たった昨年秋、以前から病んでいた右ひざの痛みが悪化、思うように歩けなくなった。医師から「長年の無理がひざにきた」と告げられた。女性も「稼ぎすぎだど思った」と振り返る。』という記事の内容から、収入を得るための農作業、二人の介護、三人の子育てがその女性一人に重くのしかかったことがわかる。
 家庭においても集落のような限界度を定義付けたならば、明らかに「限界家庭」の状況が長く続いていたと言えると思う。そしてその女性が亡くなれば「消滅家庭」になってしまうことも容易に想像できる。「限界集落」という言葉は、「限界家庭・消滅家庭が増えた集落」と言い換えることができるのではないだろうか。
 『夕闇が辺りを包む午後4時すぎ、女性は電気をつけずに、薄暗い8畳の居間で小さな背を丸め、こたつに入れたひざをさする。部屋には小さなファンヒーターが一つ。築50年以上の木造平屋は底冷えする。雪が舞ったこの日、室内の温度は16度にしかならない。
 女性は平日、デイサービスに出掛ける。近所の女性がよく顔を出し、片付けなど何かと世話をしてくれる。だがデイサービスから戻る午後4時以降や土日・祝日は一人で座って過ごす時間が長い。「面白ぐねーけど、仕方ねがべ」。ぽつりと漏らす。』
 『動くのがやっとの今、部屋の掃除が行き届かない。時折、顔を見せる遠縁の女性(60)は「あれだけきれいにしていたばっちゃの家が、こんなになるのか・・・」と嘆く。
 女性は支えなしには歩けない。そのため居間の戸の障子紙は下の一段だけがない。女性が戸につかまって歩く際、やむを得ず破ったのだ。ただでさえ寒い部屋に、容赦なく冷気が入り込む。冬は「こっちの方があったけし、布団敷くの面倒だ」とこたつに寝る。』 
 『冬のトイレは危険と隣り合わせだ。トイレが外にあるのだ。玄関には段差。地面は滑りやすい。もし転んだら…。以前、転んでできた左ほおのあざが消えない。
 最近、女性にうれしいことがあった。地元の工業高の生徒がボランティアで、玄関口と廊下に手すりを取り付けてくれた。』
 『女性は「息子たちは人がいいんだ。悪いごどしてねばいいな」と独り言のようにつぶやく。』というそれらの内容から女性の生活の様子が伺えるが、全体として寒さが伝わって来た。部屋の温度という物理的なことだけではなく、「人(家族)の温もり」を感じる場面が少ないと感じたこともその理由だ。しかしその女性がそういう状況にありながら、自分の息子のことを案じていることも伝わってきたので、その女性の心の温もりを感じることができたことは希望につながった。
 それと、「家」という「生活するための施設」が、体が不自由な高齢者に必要な機能を有していない場合が多いという事と、そういう高齢者でも快適に生活できるように家を改修するとすれば、高齢者一人当たりの改修費は高く付くと思う。
 「社会保険などによって個人の生活を国家が守ること」を「社会保障」と呼ぶのであれば、その女性の生活の様子を見る限り、社会保障を充実させるべき点はまだまだあるように思える。また、その女性一人に全ての負担がのしかかった時に、その負担を社会全体で負担する(助け合う)仕組みになっていれば、もしかするとその女性はまだ介護を必要とせず、逆に地域貢献につながる活動を多少なりともする側になっていたかも知れない。
 医療の分野では、病気を治療する事に力を入れるよりも、病気にさせないための予防(保健)に力を入れた方が、社会全体で負担するコストを減らすことができるという考え方があると思う。社会保障政策においても、将来発生する社会保障費を低減するつもりで、個人の生活が限界を超えるもっと前の段階から支援する事も考えるべきだと思う。
 その女性の家庭の生活を支えるための収入は何だったのかと言えば、早朝の新聞配達、
近くの農家での農作業(日雇)、夫の出稼ぎであった。体力的にも楽ではなかっただろう
し、仕事がきつい割には収入は多くはなかったと思う。社会保障政策で個人の生活を守ることを考える際に、家庭の経済力向上(所得増)も同時に考えなくてはならない。地方においては農業政策や雇用対策と同時に考えなくてはならない。農商工連携(1次×2次×3次=6次産業)という言葉がよく聞かれるようになったが、今では地域全体の総合力が問われており、首長には「行政の長」というだけではなく、「地域全体の経営者」という認識が求められているように思う。すると自ずと、付加価値の高い仕事を創出できる人材を育成しなければならないということになり、必然的に教育にも力を入れることが求められるようになる。「教育は良質の投資」という意識が国民に広く浸透しているスウェーデンの教育政策が注目されるようになった。日本の国際競争力が9位に低下したのに比べ、スウェーデンは4位につけている。日本は教育政策の見直しも必要だ。
 『高齢化社会が進む。2005年の国勢調査で本県の65歳以上は総人口の22.7%、32万6,562人。そのうち単身世帯者は4万1,801人。5年前より8,464人増えた。』100人の村であれば、23人が65歳以上で3人が一人暮らしとなる。

(2)限界集落に住む住民に求められている政策
 2008年12月6日(土)東奥日報朝刊25面に限界集落に住む住民が求めている政策を示す記事が掲載されていたので紹介したい。
 『9割「住み続けたい」国交省高齢化集落アンケート、生活サービス維持課題
 人口減少と高齢化が進んだ集落に暮らす住民の約9割は将来も移転せずに住み続ける意向を持っていることが5日、国土交通省が全国で20地区を選んで実施したアンケートで分かった。
 ただ近くに病院がないことなどへの不安も大きく、国交省は「生活関連サービス提供をどう維持するかが課題」と分析。同日、有識者らによる「過疎集落研究会」を設け、対策の検討を始めた。
 調査は、65歳以上の高齢者が住民の半数以上で存続が危ぶまれる「限界集落」を含む地区を18道府県の20市町から選び、8−9月に実施。計1,849世帯から回答を得た。
 「将来も住み続けたい」は「ぜひ」と「できれば」を合わせ87%。理由は「住んでいる家や地域に愛着がある」が44%、「生活様式を変えたくない」が32%だった。一方、15−29歳の若年層だけを見ると不便さなどから44%が移転を望んでいる。
 生活の困り事や不安は「近くに病院がない」が21%でトップ、「救急医療機関が遠く搬送に時間がかかる」(19%)、「食料や日用品を近くで買えない」(16%)などが続いた。
 病気や高齢化で日常生活が不自由になった際に必要なサービスは「定期的な安否確認」(22%)、「緊急通報サービス」(20%)が多かった。』
 アンケートの結果から、高齢者が通院や買い物をするのに適した交通手段の確保と、定期的な安否確認がなされる生活を実現する事が求められていると言える。七戸町は高齢者のための町民バス(100円)を週3回、とうほく天間農協も買い物客集客のために各地域毎に週2回運行しており、国道や幹線道路に近い住民は民間会社のバスも利用することができる。長野県安曇野市では、デマンド交通(乗合式)で「あづみん」という名称の新公共交通システムを構築していて、高齢者が事前に電話でバスの利用を申し込み、自宅前で乗降できるように運行経路はその日の利用者に合わせて決めており、弾力的な運営で成果を上げている。七戸町もそれを参考に効率的なバスの運行方法を考える必要はある。 


掘ッ楼茲防要な政策

1.シルバーハウジング(高齢者世話付住宅)
 高齢者の方が自立して、完全で快適に過ごすことのできるような設備を備えた公営住
宅のことをいい、昭和62年度から制度として実施されている。
 手すりの設置やバリアフリー化、ライフサポートアドバイザー(生活援助員)による入居者に対する安否の確認、生活相談・緊急時の対応・疾病時の一時的家事援助などの生活支援など、ハード・ソフトの両面から福祉サービスを利用者に供給する。
 サービスの供給主体は公的住宅供給主体(地方公共団体、住宅・都市整備公団、地方住宅供給公社など)で、入居対象は日常生活上、自立可能な60歳以上の高齢者単身世帯、高齢者のみからなる世帯、または高齢者夫婦世帯で、平成8年から障害者世帯も入居対象になり、家賃は公営住宅に準拠している。
 平成18年7月に策定した七戸町長期総合計画の「第4章 自然と調和のとれた快適なまちづくり(生活環境の整備)」の「1住環境の整備」の「施策の内容(2)多様なニーズに応える居住環境の整備」のに「一人暮らし高齢者を対象としたシルバーハウジング(高齢者世話付き住宅)建設計画を検討します。」とある。平成20年の11月の町政座談会で計画がどこまで進んでいるのか気になり確認したところ「これから資料を集めて検討したい」という回答だった。2年間全く検討されていなかったのにはがっかりした。

2.新規就農者の受け入れ
 2007年4月25日(水)、七戸町の福士孝衛町長に新規就農者の受け入れについてメールで提案しているので、その内容を紹介したい。
 『 今年の1月にメ−ルでお願いしておりました新規就農希望者の□□君の受入体制と、今後の町としての新規就農希望者の受入体制について提案致します。
 □□君に関しては、当初の4月1日研修開始という目標が大幅に遅れたため、相談を受け町にお願いした私の責任を果たすため、暫定的に、宿泊施設は私の家、受入農家は私(有限会社みちのく農産)という事で、4月6日からアルバイトという立場で受け入れて現在研修を始めています。
 食事と風呂は自分で対応する事を条件にしているため、食事は外食か弁当、風呂は温泉という生活で、□□君には不便な生活を我慢してもらっていました。
 4月19日の会議で話し合われた結果、どうにか教員住宅への入居に目処がついたようで一安心しております。
 残る問題は、受入農家を町が紹介する事なのですが、普及指導室、とうほく天間農協、八甲田農協の協力を得ても、県の助成金制度(受入農家に月3万円、延べ11ヶ月分の助成金を支給)だけでは受入農家として申し出る農家がいないという状況のようです。4月19日の会議で、「今後のためにも、受入農家が現れない原因を調査する必要がある」と提案しました。「もし、研修生に給料を支払うのが負担になっているのであれば、受入農家に対する県の助成金に町がいくらか上乗せして助成すれば、受入農家が現れるのではないか」とも提案しました。
 本人は、「トマトを中心に露地野菜を研修したい」と希望しているので、七戸町のトマ
ト農家の中から、受入農家としてとりあえず数人が登録するような方策を早急に考えなければなりません。またそのための事業を行うためには予算配分してあげなければ、担当課、担当職員は何も事業を実施できないので、予算編成権を持つ福士町長には、それをお願い致します。
 県は財政上の理由で、それまで5万円/月だった助成金を数年前から3万円/月に減額しました。農業所得が今よりもあった頃の5万円/月の助成金の時でさえ、七戸町で県に登録していた受入農家は私を含めて二人だけだったように記憶しています。その頃にくらべ更に農家の経営が厳しくなった事を考慮すると、町としても、3〜5万円/月の助成金の上乗せを検討する必要があると思います。そうすれば、受入農家として登録してもいいという農家が現れるかも知れません。
 それと、4月19日の会議の案内文書を頂いて、七戸町に「七戸地域担い手育成総合支
援協議会」という組織がある事を初めて知りました。私は、新規就農希望者が七戸町のホ−ムペ−ジを訪れた際に、その協議会の名称を見つけ、そこから就農に関する様々な情報(受入農家のリスト、宿泊施設、町独自の農業の担い手対策や就農支援策等)を入手できるようにした方がいいと思います。私がこれまで受け入れ就農独立させた4人の研修生も皆そうでしたが、私が募集しなくても、自ら私を尋ね相談に来ました。それを考えると、町が新規就農希望者の受入体制を整備し、町のHPやインタ−ネットを活用し積極的に情報発信し、東京や大阪で開催される「就農相談フェア」に出向いて積極的にPRし呼びかけるならば、毎年10人位の新規就農希望者をこの七戸町に呼び込む事も十分可能だと思います。
 新聞では「限界集落」という言葉がよく見られるようになりました。このまま何もしなければ、この七戸町でも消滅する集落が出て来るのではないかと危惧しています。その対策として私が唯一提案できる事は、町外および県外から新規就農希望者を七戸町へ呼び込み、人口が少ない集落ほど優遇し、そこで就農し定住できるような制度をつくる事です。そのような新規就農希望者がこの町に定住し、農業を行うようになれば、事業に必要な施設・機械・資材を地元から購入します。そして、お金が貯まれば「家」という大きな買物をし、毎年固定資産税も納めてくれるようになります。結婚して子供を産んでくれれば少子化対策にもなります。三千人/日の新幹線の利用客がお土産等の購入で地元に落とすお金と同等以上の経済効果が期待できると私は考えています。
 65歳以上の農家が半分以上と言われる現状を考えると、当町においては、少子化以上
に農業の担い手不足が深刻な問題です。生産力が落ちれば、農協は職員や作業員を雇用できなくなり、七戸町から更に雇用の場が減る事になります。それによって貯蔵庫や選果場等の施設や設備の稼働率も低下し、今度はそれが新たな無駄となり、農協の経営を更に圧迫していきます。それらの対策も含めて、新規就農希望者を集落に受け入れて人口を維持する政策を強力に推進していく必要があります。
 商工業についても、大切なお客様である地元住民を減らさず、むしろ人口を増やすような政策を推進する事も、商工業の発展につながると考えています。
 今後(来年度以降)のためにも、毎年最低10人以上の新規就農希望者を七戸町に呼び込むような制度をつくるためにも、まずは□□君の就農を成功させるよう、今年1年町としてできる事を早急に実施して下さいますようよろしくお願い致します。』

最後に
 前回は「選挙」というキーワードで地域の事について書いたが、今回は「農業」と「集落」というキーワードで書いてみた。
 私が住んでいる「哘」という集落は23戸あり、人口がちょうど100人で、その内55歳以上が53人(53%)で、65歳以上が35人(35%)なので、準限界集落に該当する。限界集落ではないとは言え、哘分館(哘・市ノ渡・十枝内・底田・古和備の5集落で旧哘小学校学区)の運動会や盆踊り等の運営が、高齢者が増えてきた事もありとても難しくなってきている。
 そういう集落に住んでいる事もあり、「限界集落」という言葉を強く意識するようになった。それは他人事ではなく、近い将来確実に自分に降りかかってくる問題だと認識している。それが「農業」と「集落」という二つのキーワードにこだわった一番の理由だ。
 マスコミは控えめに景気低迷と呼んでいるが、1929年にあるグループが意図的にアメリカで起こした世界大恐慌と同じように、今回はサブプライムローンを使って世界大恐慌が起こされた。その影響で日本でも製造業を中心に失業者が大量に発生する事態になった。それは決して歓迎できる事態ではないが、担い手不足に悩んでいる農林水産業としては、収入や所得が十分とは言えない状況ではあるが、製造業との格差が若干縮小した、あるいは、職と住居を失った人から見れば職・収入・住居があるだけ、求人を行うには景気が良かった時よりも有利になったと言える。地方の市町村長はこれを好機と捉え、すぐに担い手確保のための行動を起こして欲しいと願っているし、そういう判断ができる首長であって欲しいと思う。
 少子化の問題については、今回は「独身」の問題を取り上げ、既婚者で子を持つ親については全く触れていないので簡単に述べたい。少子化によって保護者の人数も減った。PTAや子ども会の活動は保護者が協力し合って行っているが、一人の保護者にかかる負担が大きくなってきた。天間西小PTA哘地区や哘子供会は、携帯電話のメールを積極的に活用し、連絡の負担を軽減したり、意見交換を活発に行っている。防犯対策も地域ぐるみで行うなど、地域住民のコミュニケーションが希薄にならないように努力している。
 新規就農者については、彼らが安心して確実に就農できるようにするためにも、受け入れ体制を整備しておく必要があるが、その集落の認定農業者が中心となった集落営農組織や農業生産法人が受け入れ先となるのが理想であり、それをどのように育成するかが行政のトップの腕の見せ所である。それについても平成18年6月に「天間林モデル(案)」としてとうほく天間農協と七戸町に提言している。農協を中心とした「組織営農」をイメージし、集落営農を旧天間林村に適した形に進化させた案としてまとめたが、実現するために必要なのは、その実現に向けて強力に推進する意欲と能力を持ったリーダーの登場だと思っている。
 今回詳しく紹介できなかった事については次の機会に回したいと思う。

八戸高専地域文化研究センター「地域文化研究」第16号寄稿文

平成19年10月31日
「選挙を変えて地域を変える」                                          
                             哘 清悦
                             www.saso.sakura.ne.jp 
目次
1.県議会議員選挙(4月8日投票日)
 1−1.県議選と町議選の支持候補者を組み合わせての選挙運動
 1−2.上北郡選挙区で行われた合同個人演説会
 1−3.七戸町の有権者の判断、「地元から県議を」
2.七戸町議会議員選挙(4月22日投票日)
 2−1.合併後の2年間の議会で一度も質問しない議員が半数以上
 2−2.ドブ板選挙、早い人で半年前から、遅い人で3ヶ月前から
 2−3.「投票したい人がいない」という住民の声
 2−4.選挙を変えるために自ら立候補
 2−5.告示前日の出馬表明、準備不足の長所と短所、票の数より票の質
 2−6.出馬表明の記者会見で述べた私の決意
 2−7.タ−ゲットは投票率の低い若年層、今よりも未来を重視
 2−8.顔写真がない選挙ポスタ−と選挙葉書
 2−9.選挙カ−を準備できずに「宣伝カ−」、そしてダ−ツの旅
 2−10.作戦変更、農協前のみの連続街頭演説
 2−11.結果は落選、でも次につながる影響を与える事ができたという充実感
3.青森県知事選挙(6月3日投票日)
 3−1.県民と向き合う姿勢に三村知事の政治姿勢が見て取れる
 3−2.西谷候補が参考にしてくれた中橋氏のマニフェスト
 3−3.私たちが求める知事選マニフェスト
最後に


1.県議会議員選挙(4月8日投票日)
1-1.県議選と町議選の支持候補者を組み合わせての選挙運動

 県議選の上北郡選挙区は、野辺地町、七戸町、六戸町、横浜町、東北町、六ヶ所村、おいらせ町の7町村がエリアとなる。定数は4で、県南新聞は、現職3人と新人4人の争いになると伝えていた。一番激しい選挙戦が予想されたのは東北町で、現職1人と新人3人
が立候補した。旧東北町と旧上北町が合併して東北町となったのだが、旧東北町から現職1人と新人2人が立候補した。現職が民主党で、新人は自民党と社民党だった。
 七戸町からは祖父が県議だった工藤省三氏の孫の工藤慎康(37歳)が立候補した。旧七戸町と旧天間林村が合併して七戸町となったのだが、工藤氏は旧天間林村出身だ。
 東奥日報には、『県議選後に自身の選挙を控える、七戸町のベテラン町議が苦笑いした。「以前は支持する県議の名刺を出し、その後で自分の名刺も出した。初めてだよ、自分の選挙だけやるのは」 四議席を七人で争う上北郡区。五人は、中部上北からの出馬だ。元県議・小原文平(故人)の地盤だった旧七戸町。五千ともいわれる浮動票をめぐり、激しい綱引きが続く。中部の結果が、全体の当落を左右する。』の記事が掲載された。
 合併前は、旧七戸町の町議は小原文平氏の名刺を渡した後で、町議選に立候補する自分の名刺を渡して一緒にお願いしていた。旧天間林村も同様で、工藤省三氏と自分を一緒にお願いしていたようである。

1−2.上北郡選挙区で行われた合同個人演説会
 「誰」がという事よりも、「政策」を重視して投票する私は、各立候補者がどのような政策や公約を出してくるのかを注視していた。私は、旧天間林村長選と旧東北町長選では公開討論会、おいらせ町長選で合同個人演説会を企画し開催した経験があるので、立候補者を一同に集めて重要課題について討論してもらうのが、有権者の判断材料を提供するという意味でも有効である事はわかってはいた。しかし、今回はそのための時間を確保できなかったが、横浜町の有志と有谷氏の尽力によってそれが実現できて大変良かったと思っている。12選挙区の中で今回は4選挙区で合同個人演説会が行われたが、行われた内の一つに上北郡選挙区が入る。公開討論会も合同個人演説会も一番難しいのは、参加したがらない立候補者を説得する事であるが、公開討論会や合同個人演説会が特別な事ではなくなってきたので、参加を断る立候補者が少なくなった事は良い事だと思っている。参加を呼びかける我々も、企画の段階からマスコミにも情報を流し、立候補者が参加を断った場合もマスコミにその情報も流すので、有権者の反応を気にする立候補者は簡単には断れないような工夫もしている。本人に代わって、多くの有権者を集め政策を話す場を用意し、新聞にもその様子が掲載され選挙への関心が高まるような取り組みを、住民がボランティアによって行っているのだから、本来ならば感謝されてもいいくらいではあるが、立候補者のレベルがそこまではいかないのが現状である。有権者が、「政策を聞きたい」と参加を求めたのに対しそれを断るという事は、その立候補者の政治姿勢そのものを示す事になるため、政策を語る以前の問題であり、投票しないと決める最高の判断材料になると思う。
 4月5日(木)の東奥日報記事の一部を紹介する。
 『上北郡区では公開討論あおもりフォーラムの有谷昭男氏が進行を務め、支持者ら三百二十人が耳を傾けた。候補者は一人五分ずつ所信表明した後(1)県議会、県議のこれからの役割は(2)産業振興と雇用対策(3)地域づくりの方向をテーマに主張と討論を展開した。産業振興については「核燃関連施設のメンテナンスを行う企業を地場産業として育成したい」「国策依存による企業誘致は前提が間違っている」と主張が対立した。
 政務調査費に関し、新人候補が「きっちりと報告できないのなら、なくしてもいい」と持論を展開。「われわれは一切無駄なことはやっていない」と、与野党の現職が一致して反論する一幕もあった。』

1−3.七戸町の有権者の判断、「地元から県議を」
 現職の議員や首長が有権者に実績を強調して訴える事が多いが、私は新人には実績が無いとは思っていない。その人がそれまでの活動を通じてある事をきっかけに政治家を目指すのであり、市民として行ってきた活動や、職業人として行ってきた活動があるはずであり、私は堂々とそれらの実績を住民に話して欲しいと思っている。街頭演説等を聴いていると、現職が強調する実績とは単に何期議員や首長を務めたかだけの話で終わっていて、肝心の何をやったか(結果)が無い事が多い。
 私が投票する際の判断基準は、その候補者の政策と人柄であり、投票直前まで悩んで決める。その候補者の名刺や討議資料に書かれている内容、これまでの活動等を自分なりに採点して決めるが、自分と立候補者の「つながり」で決める有権者がまだまだ多いという事を実感した。できるだけ自分の地域に近い人を、自分と血縁関係で近い人を、仕事や日常生活で世話になっている人をという感じである。
 選挙区が広く有権者数も多くなると立候補者の血縁の票が占める割合は少ないので、運動員の地縁や血縁を頼る事になり、いかに有力な運動員を得る事ができるかがポイントになる。自民党を支持する町議が多い七戸町からただひとり立候補した工藤氏に、その点では有利に働いたと思う。
 七戸町の有権者から聞かれた声で最も多かったのが、「地元から県議を出さなければ」という声だった。政策や人物を評価する声はほとんど聞かれなかった。
 私は中部上北合併協議会の委員も務めた。旧七戸町、旧東北町、旧上北町、旧天間林村の4町村で構成され、県内で最初に合併になると注目されていたが、首長間の思惑の違いによって、旧七戸町と旧天間林村が合併して七戸町に、旧東北町と旧上北町が合併して東北町になった。農協合併は、旧七戸町農協と旧上北町農協が合併して八甲田農協に、旧東北町農協と旧天間林村農協が合併してとうほく天間農協となった。行政と農協は縦と横の合併となり、モザイク状態にあるのが、現在の中部上北である。
 もし中部上北の4町村が合併していたら、今回のような選挙結果にはならなかった可能性がある。七戸町の有権者は、「地元から県議を」と言った時に、今回は選択肢が一人だけだったが、もし仮に中部上北の合併が実現されていれば、選択肢は5人となっていた。
 いずれにしても、前回が無投票だっただけに、政治家を目指す意欲ある人物がこの中部上北から多数現れた事は喜ばしい事だと思っている。
 参考として上北郡の選挙結果を下表にまとめた。
090209青森県議選上北郡選挙結果07


2.七戸町議会議員選挙(4月22日投票日)
2−1.合併後の2年間の議会で一度も質問しない議員が半数以上

 旧七戸町と旧天間林村は平成7年3月31日に合併したが、それから2年が経ち、4月には新たな定数での町議会議員選挙が行われた。合併した場合、市町村議員に関しては定数特例か在任特例かのどちらか選択できるが、両町村の合併協議会では、議員の意見を尊重し、在任特例を選択していた。
 定数特例であれば、合併時に選挙が行われ、両町村18人ずつで合計36人の議員が、
自治法91条2項に規定する上限数によって22人までに削減され、当選した議員の任期は4年となるので、在任特例の2年よりは有利である。
 在任特例は合併後の選挙は行われず全員新市町村の議員になれるが、任期は2年だけとなる。それでも1期務めた事になり、3期務めると地方議会議員年金の受給資格が発生するので、2期務めた議員にとっては、選挙で落選するリスクもなく、2年で1期とみなされる事が魅力的に見えたと思う。しかし、そのような考えは住民から見れば、住民の事よりも自分の事しか考えていないと映り、当然不満の声は上がった。合併協議会の委員も住民の立場で選ばれ委嘱されている委員の方が多いので、黙認する訳にもいかなかった。そういう住民の不満を和らげる目的で議員が考えた理由が、「合併直後は解決しなければなない課題が山積しているので、今の人数が必要だ」であった。そもそもこの定数特例と在任特例は、市町村合併にはそれぞれの議会の承認が必要なのだが、自分が損をすると思うと議員が合併に賛成しない事が予想される事から、国がその対策として議員が賛成しやすい条件を整備しておいたものであり、住民側も議員に与えられた選択できる権利の放棄までも要求するのであれば、まとまる話もまとまらないとの判断からある程度は譲歩せざるを得ない状況だった。解決すべき課題を合併後に先送りしながら、どうにか期限内に合併を果たす事ができた。
 2年間で6回は議会の一般質問を傍聴しが、緊張感が全く伝わってこない。合併を実現できた事で仕事をやり終えたとでも勘違いしているのではないかとさえ思った。課題が山積していると言った割に質問者は4〜6人で、質問に立つ議員はいつも同じ人であった。午後に質問が回る程度の質問者しかいないが、10時に始まって12時に終わる事もあった。そして終に2年間で一度も質問していない議員が半数以上となった。しかも質問内容のレベルが低い。確かに「質問」となっているので、わからない事を聞いて悪くはないのだが、その程度の質問は担当課の職員にでも事前に聞いておけば済む事ではないのかという質問もあれば、質問の前の前置きが15分と長く、肝心の質問は前述のような程度だったりで、まるで傍聴席にいる町民に、自分がどれだけ勉強し知識が豊富なのかをアピ−ルしたいのではないかと思えるような質問もあった。
 しかし、旧七戸町出身で社民党の川村三十三議員は教員だった事もあり、実に論理的な質問を行うので、町長や担当課長が相当緊張して答弁しているのがよくわかった。教育行政に関しては特に鋭い質問を行っていた。旧天間林村の議員でこのような論理的な質問をできる議員は誰もいなかっただけに、合併して良かったと思った事の一つに、レベルの高い質問をできる議員を旧天間林村の住民も得たという事が加わった。

2−2.ドブ板選挙、早い人で半年前から、遅い人で3ヶ月前から
 選挙の半年前ともなると、「誰が立候補するか」という事が住民の間でも話題になってくる。「誰々はもう何回挨拶に来た」、「家には誰と誰が来た」、「新人では誰々が出るらしい」、「誰々は今回出ないらしい」。選挙の話題の中心は「誰」であった。
 合併後最初の選挙となる今回だけは、旧七戸町9人、旧天間林村9人と選挙区を分けて行う。私は合併協議会において、最初の選挙から選挙区を設けない事を主張したが、両町村の議員が水面下で交渉していたようだった。人口割りで言えば、旧七戸町10人、旧天間林村8人となるところが、基金がゼロに近い旧七戸町が基金6億円ある旧天間林村に対して、議員の数で譲歩したようである。この水面下での交渉が、合併後に基金6億円が旧七戸町にも多く使われているという旧天間林村の住民の不満となって表れる。
 県南新聞は上十三地域をエリアとしている事もあり、地元の行政・選挙・議会・農協関係の情報量が多く、七戸町の情報についても量と早さでは一番だと思う。私も月3回発行される県南新聞が届くのを毎回楽しみにしている。その県南新聞では、天間林選挙区は定数9に対して14人が立候補する激戦区になると伝えていた。
 旧東北町では合併直前の議員選挙で無投票工作が発覚し、住民のリコ−ル運動に発展するという事件があった。結果的に無投票となるのであれば仕方ないが、談合によって無投票にするという行為は、住民の選ぶ権利を奪う事でもあり厳しく戒めるべきである。それに対して、定数9に対して5人オーバーという状況は談合が成立しにくく、無投票になる確率は極めて低いので好意的に受け止めていた。それまでの定数18から半分の9になるという事は、倍の得票がなければ当選できないという事になり、地縁血縁で固めた基礎票だけでは当選できず、政策や人物の評価によって獲得できる浮動票をどれだけ上乗せできるかが重要になるために、立候補者と有権者の意識に変化が起き、選挙が変わるのではないかと期待した。

2−3.「投票したい人がいない」という住民の声
 七戸町でも天間林地区は3分の2の世帯が農家という事もあり、町議も農家が多い。その点でも農作業がほとんどない冬期間は選挙に向けての活動がしやすい時期である。私はとうほく天間農協の組合員でもあり青年部員でもある事から、農協青年部の先輩でもある田嶋弘一町議の2月の集まりに誘われた。その場で私は、これまでの活動実績や今後取り組もうとしている事を資料にまとめて天間林地区全世帯に配布してはどうかと提案した。
 我が家にも5人が名刺を持って挨拶に来ていた。名前が上がっている15人中5人は農業関係者で日頃からつきあいがある人なので、性格も能力も十分わかっていた。しかし、名刺以外に何も持って来なかった。自分の考えをまとめた討議資料を持って挨拶に来たのは、トップ当選を果たした新人で15人中最も若い39歳の附田俊人氏だけだった。告示は4月17日だったがその数日前に、A3半折表裏4ペ−ジに、自己紹介、立候補を決意するに至った経緯、新幹線開業を地域振興に結び付ける政策や公立七戸病院の再建策等について、丁寧な文体で述べていた。ようやくこれができるレベルの政治家が天間林にも出てきたと思い嬉しくなった。
 2月下旬から3月上旬にかけて、私は知人から依頼された電話帳の全戸配布を行う事になっていた。そこで田嶋弘一議員に私が提案した資料ができていれば一緒に配布してあげると伝えたが、「できない」という回答だった。私は電話帳だけの配達ではもったいないので、私自身が登場する映画の自主上映会のチラシも一緒に配布した。残念ながら、天間林では自分の考えを資料にまとめる事ができる議員はほとんどいないというのが現状だ。
 いろいろな役職に就いている関係上、農業関係や学校関係の会合にもよく参加するのだが、「投票したい人がいない」という声をよく聞いた。実は私自身そう思っていた。様々な市民活動を行ったり、公開討論会や合同個人演説会を何度か企画し開催しているうちに、政治に対して私が要求するレベルが上がったのだと思う。立候補予定者に、私が要求するレベルに達している人がいなかった。
 また、公開討論会や合同個人演説会を行った後で、政治のレベルが上がった事が実感できれば疲労感が残らないのだが、期待した程効果が出ていないようにも感じていた。外側から仕掛けるよりも、私が自ら立候補して選挙運動を通じて内側から仕掛ける方がむしろ影響を与えれるのではないかと思うようになった。実際、公開討論会を企画し開催する活動を行っているうちに、まともな議論ができる議員が少ない事がわかり、自分が議員になった方がましだと感じて立候補を決意する人もいるようである。そういう思いを市民に抱かせるという事は、議員が隙だらけであるという事であり、市民に満足してもらえるような活動をしていないという事である。

2−4.選挙を変えるために自ら立候補
 国政・県政・町政、私なりに常に関心を持って考えていたので、政策をまとめるための材料は比較的準備ができたが、選挙運動の準備はほとんでできていなかった。しかし、住民の声を聞いているうちに、4年に一度の選挙、しかも自分に最も近い選挙にどう関わるかを決断しなければならないという選択の期限が近づいていた。外側から仕掛けるという選択肢はこれまでに経験した徒労感からも今回は選択できなかった。これは実際に人のために自分の貴重な時間を削って活動した経験がある人でなければわからないと思う。
 私は市民とマニフェスト:あおもり研究ラウンジという政策懇談会に平成17年12月の発足時から入会し、月1回の定例会に参加し政策について勉強してきた。平成18年12月に会員の大竹氏が知事選に出馬する事が報道され、私も他の会員も驚いた。私のHPから東奥日報の「‘07知事選」を見る事ができるので、詳細についてはそちらをご参照頂きたい。
 新聞記事には、1週間後に「政策発表」とあったため、事務局を務める中橋勇一氏も慌てて会員の数人に集まってもらい対応策を考えた。その集まりに私も出席したが、これまで勉強してきた事をマニフェストという形で中橋さんが一晩かけてまとめたものが準備されてあった。それからいろいろな事があり、大竹氏は出馬しない事になったが、候補者を探せない民主党は今度は中橋氏に声をかけてきた。私はたまたま県民が見る事ができない水面下のそれらの一連の流れがよく見える場所にいたので大変勉強になったが、候補者選びが先行し、政策が全く議論されていない点を、私も中橋氏も危惧していた。
 民主党が候補者を擁立する前に、青森県の知事選挙で民主党青森県連が掲げる政策がどんなものであるかを県民に示すべきだと考えていたがそれらは一切無く、知名度が高く選挙で有利に戦えそうな人であれば誰でも良いという印象だった。それに加え報道で多くの県民が知ったように、あの民主党県連のまとまりの悪さでは、誰であっても、民主党の要請に応じる事は難しいと思った。それらの経緯を見て、やはりこれからの選挙は政策が第一で、マニフェストを有権者に提示して立候補するべきだという思いを一層強くした。
 その政策懇談会に会員は、当然政策に関心が高い人達ばかりなので、いつ本業として政治家を目指しても不思議ではない人達である。元相馬村議の三上直樹氏も弘前市議選に立候補する決意を固めていた。私もマニフェスト型選挙が政治を変える力が相当あると確信していたので、もし私が七戸町議選に立候補するとしたらどんなマニフェストを掲げるかという事は常に意識していた。
 一向に盛り上がりを見せない七戸町議選、全く聞こえてこない政策、投票したい人がい
ないという住民の声に、私は自ら町議選に立候補する事を決めた。

2−5.告示前日の出馬表明、準備不足の長所と短所、票の数より票の質
 農家にとって4月も農繁期であり、その年の出来高を左右する播種や育苗作業等の大事な作業が集中する時期である。立候補者は当然ではあるが、その家族親族、友人知人らにとっても、自分に近い人が選挙に出ると日常の仕事に輪を掛けて忙しくなる。
 私が選挙を変えたいと思っている事の一つに、選挙の際に「住民に負担を掛けない」という事があった。誰しも自分に近い人あるいは支持する人を当選させたいという気持ちにはなるが、日頃政策について深く議論する事がなければ、結局はただのお願い合戦で終わってしまう。「何回訪問してお願いしたか」「どれだけ多くの人がお願いに来たか」で得票数が決まるような選挙で選ばれた議員が、効果的な政策提言が出来るとは思えないし、やはりそのレベルでは町政が良くなる事はないと思っていた。
 私が立候補を決めた時点で、すでに周回遅れの状態であった。「どうせ遅れたのだからギリギリまで遅らせたら」との知人の助言もあり、これ以上ないという位遅らせた。結果的に「告示前日の午後に出馬表明」となった。
 この準備不足は勿論選挙では不利に働く。事務所なし、選挙カ−なし、運動員なしの選挙となった。しかし、家族親族は選挙期間中以外は平常と変わらない生活を送る事ができ、精神的な負担も少なかった。友人にも応援を依頼していないので友人も特に動く必要がなかった。家族親族友人に負担をかけないという目的は達成できたと思う。
 しかしそれで票を集める事ができるのかと問われれば、「たくさん」集める事はできないと答える。それで当選できる程甘くはないとは思っていたがそれでも良いと思っていた。実は今回選挙に出るにあたり私がこだわったのは、票の数よりも票の質であった。地縁血縁付き合い抜きで、純粋に「政策」と「人物」のみで判断する有権者が、一体どれだけこの天間林にいるのかを見たいとも思っていた。私の両親にも、たとえ親しく付き合っている人にお願いする場合でも、「息子の政策を見ていいと思ったら投票して下さい。」と条件を付けて呼びかけるように指示した。
 参考までに県南新聞(4月20日号)の一部を転載する。
突如の立候補、天間林の哘清悦さんの推薦人は簗田明博さん
 今回の町議会選挙は22日なので、今号に投票結果を掲載できない。結果を掲載すると23日の発行になるからだ。”タイミング”が悪かったが、17日の告示で驚いたのは七戸町第一選挙区(天間林)に哘清悦氏(38)が駆け込みで立候補したことだ。
 議員との対話塾や市民の会をリ−ドしてきた”政治評論家”簗田明博さんは七戸町天間舘出身。その簗田さんが本紙に「天間林からもう一人出るかもしれない頭において下さい」と電話をよこしたのだが、今月10日ごろだった。
 七戸町の立候補予定者説明会にも簗田氏が顔を出していたが、この時水面下で哘氏と折衝していたに違いない。哘氏は中部上北合併協議会の委員にもなっていたし、再処理工場について勉強する農業者の会代表や公開討論会にもボランティアとして関わるなど、若手の中では存在感が際立っていた。七戸町議会一般質問の傍聴にも来ていたので、もしかしたらと思っていた。しかし、天間林地区は原子孝、附田俊仁氏、簗田喬氏、年明けには荒木田睦子氏もあいさつ回りを開始、定員5人オ−バ−の状況が変わらないまま告示を迎えようとしていた。つまり立候補予定者が昨年秋から票固めに入っており、もう入り込む余地がないほど激戦が繰り広げられていた。
 無謀に近い突如の立候補だが、推薦人の簗田氏は、「真面目に街頭演説をしているのは哘さんだけですよ。良識票がどれだけ入るかですが、目標は大きいんです。知事選挙、国政レベルに出しても恥かしくない人物ですし、この町議選出馬は決して無駄にならない」
と述べ、次のステップにつながるとの見方を示した。

2−6.出馬表明の記者会見で述べた私の決意
 告示前日の4月16日午後2時から七戸町中央公民館にて、推薦人の簗田氏同席頂いて、記者会見を行った。その時の発言内容を、「私の決意」として私のHPでも公開しているが、参考までに転載する。
                              平成19年4月16日
私の決意
 突然ではありますが、4月17日告示、4月22日投票日の七戸町議会議員選挙に立候補する事を決意致しました。
 夕張市は財政破綻しました。市長や議員を選んだ市民にも責任があるとは言え、本気で議員の職責を果たした議員が一人でもいたのだろうかと思います。十分な情報を市民に伝える事もせずに、市民に責任と負担を転嫁するのは論外だと思っています。
 全国及び県内にも、財政破綻寸前の自治体が多数ありますが、住民一人当たりの借金額で見れば、「国」が断然トップです。その国に財源と政策を依存している青森県は、思い切った政策転換ができない三村知事がもう4年知事をやるならば、これまでの延長線上の政策しかできず、将来は更に暗くなると言わざるを得ません。
 青森県内40市町村が子供に例えるならば、青森県は親であると言えます。死の危険から我が子を救い出そうとする親の愛情は、残念ながら三村知事には全く感じません。
 青森県財政改革推進委員会(平成15年)の委員として、痛みや苦しみを乗り越えた先には明るい展望が見えるような財政改革プランを提案したつもりでしたが、多くの痛みを県民に押し付けながらの単なる節約プランにされてしまいました。
 政策面でも、論理破綻している核燃料サイクルを推進し、放射性物質を空と海に放出する事を認め、安全性を低下させている本人が、「攻めの農業」と称して「安全・安心」を首都圏で平気でPRする姿勢も、農業者の私は腹立たしく思っていました。
 県政(特に原子力政策)に関わっている間に、地元(旧天間林村)でも町村合併による行政サ−ビスの低下と不公平感から来る不満が高まりました。農協合併の時もそうでしたが、人件費(職員給与)を抑えて健全財政に努めて蓄えてきた自分達のお金が、財政状況の悪い相手方に遣われるという悔しい思いを、二度味わう事になってしまいました。合併協議会委員を務めた者としてその責任を感じている一方で、「天間林地区の議員は一体何をやっているのか?」という不満も強く持つようになりました。
 政策的な矛盾を抱えた状態の青森県を変える事も大事だが、先ずは、自分の地域(七戸町)から変えるべきだとの思いに至りました。これまで地域の発展のために、一町民の立場で様々な地域づくり活動を無報酬で行ってきましたが、地域の将来を思えば思う程、活動を頑張れば頑張る程、「議員報酬(税金)をもらっている議員は一体何をやっているのか?」という不満が強くなりました。
 合併してから2年。議会で質問すら一度もしていない議員が半分もいます。投票率は年
々下がり、特に若年層の投票率の低さには、「政治が期待されていない」という危機感すら感じますが、有権者の意識が低いのではなく、政策や人柄に魅力を感じる候補者がいない事も、政治離れが進んでいる要因だと思っています。
 これまで、公開討論会や合同個人演説会を主催し、選挙に関心を持ってもらい投票率を向上させる活動を外側から行ってきましたが、むしろ私が議員になって、議会を中から変える方がより効果的だし、七戸町を良くする政策を実現できると思いました。
 日本は都市部と地方の格差が拡大していますが、天間林地区においてもその縮図を見る事ができます。日本では東京に資本が集中し高層ビルが立ち並ぶように、地方は疲弊していき、天間林では役場周辺に集中的に税金が投入され公共施設が建設され、農家の多い集落はその機能を維持するのが難しい限界状態(限界集落)に近づいています。
 国全体を変えるのは容易ではありませんが、自分が住んでいる七戸町だけでも格差を縮小させながら町全体をバランス良く発展させたいという思いと政策があります。
 また、七戸町民の生命と財産を守る事に関しては、私でなければできない領域があります。これまでの活動もそれが目的であったように、今後もそれが私の使命だと思って活動していきます。
 選挙に出る以上、結果は当選か落選かのどちらかしかありませんが、私の生き方や活動目的・方針が、その結果によって変わるものではありません。しかし、当選して議会で発言する事ができたならば、私のこれまでの活動の十倍以上の影響及び効果を及ぼす事ができると思います。
 4年に一度しかない選挙というものは、見方を変えれば、自分の政策や考えを町民に直接伝える絶好の機会でもあります。選挙期間中は一人でも多くの町民と対話をし、私のビジョンや政策がより多くの町民から支持されるように頑張りたいと思います。

2−7.タ−ゲットは投票率の低い若年層、今よりも未来を重視
 県南新聞で「立候補予定者が昨年秋から票固めに入っており、もう入り込む余地がないほど激戦」と伝えていた選挙区で、私はどんな層をタ−ゲットにしたのかと言えば、投票率の低いと言われる若年層と私と同年代の子育て世代である。
 他の立候補者と競合しない層を狙ったのではなく、政治に無関心と言われる若年層の有権者こそ、選挙を利用して意識を変えたいというのが真の狙いであった。議員に誰が当選するかという事よりも、有権者そして住民がより政治に関心を持ち、政治に要求するレベルが高まる事の方が大事だと思っていた。中橋勇一氏のブログから、「ぼくらはなぜ投票に行かないのか?」を参考までに転載する。
 県議選最終日の昨日04/07(土)、学生のまち弘前で「ぼくらはなぜ投票に行かないのか?ワークショップ」がありました。04/04(水)に開かれた県議選弘前選挙区の合同・個人演説会のコーディネータ、弘前学院大学の西東(さいとう)克介先生が呼びかけ、弘前大学、弘前学院大学の学生10人が集まりました。NPOあおもりC’sネットの水戸光宣さん、自分も市議選を控えている今泉昌一さん、そして私などの大人組もあわせて15人ほどのこじんまりしたワークショップでしたが、中味の濃いものになりました。
 ひとことで結論をまとめれば、投票に行かない学生・若者の反応はしごくまっとうなもので、彼らに評価されていない、いまの政治のレベルやパフォーマンスこそが問題だということです。
 学生たちは言います。「魅力的な政策がない、候補がいない」「うさんくさい人たちばかり」「いまの政治はかっこう悪い」「選挙戦がワンパターンで、ユニークさがない」「名前を叫ぶばかりでやりたいことが分からない」「調べようにもサイトもブログもない」「私たちに関係ありそうなことを何も言わない」などなど。これらはみな彼らにとっての真実であるに違いなく、私も苦笑いしながら同意せざるを得ませんでした。
 その理由を出しあっているうちに、根本的な問題が出てきました。「投票が政治を変え、地域や生活を変えるという実感が持てない」「わざわざしなければならないほど投票が効果的な行動とは思えない」ということです。政策の伝え方にも問題があるでしょう。しかしそれ以上に、これまで選挙を通じて政治、政策が転換してきたのかということです。若者はそこを見ています。政党、政治家、そして私たち大人は、政策本位の選挙をやってきませんでした。マニフェスト選挙はやっと始まったばかりです。そして青森の政党、議員たちの多くは、いまも内容のあるマニフェストを出しません。
 まじめにマニフェストを出し、連呼に走らず政策を説明する候補が多い選挙なら、もはやかっこう悪いものではなくなります。若者に投票を呼びかけるキャンペーンにお金をかけるより、政党、政治家がもっと政策を勉強し、政策で争う姿勢を示すことの方が先決で。政治を信じるように呼びかける前に、若者に信じられる政治にしていくことが必要なのです。
 「政治は大切なことだ」「投票に行くべきだ」という刷り込みが、昔に比べて足りないことは確かなようです。「学校で本気で教えない」「大人が政治をまじめに考えていない」「親も投票に行かない」。つまり、棄権が遺伝し、政治軽視が増幅されているのです。それでも大人には刷り込みがあり、義務感で投票に行きます(偽善者たちです)が、若者たちは気持ちに正直なので投票に行こうとしないわけです。
 そこで、新たな刷り込みをどうしていくか、投票へのきっかけづくりの方法でおおいに盛り上がりました。若者にとってふつうの世界と政治、選挙を近づけることがポイントのようです。サイトやブログの解禁は当たり前、なのに公職選挙法は時代遅れです。コンビニや大学構内の投票所設置、宝くじ付きや割引券付き投票券、携帯投票や24時間投票など、面白いアイデアがたくさん出てきました。考えてみれば、時代遅れのことをやりたがらないのは、いつの時代の若者・学生も同じです。
 何よりすばらしかったのは、関心が高まる効果的なやり方として、若者が魅力を感じる政治や選挙を自ら生み出そう、政治を自分たちのものとして取り戻す作業に取り組もうという意見が出てきたことです。若者が手伝い役として登場したり、学生が先生を担ぐというパターンではなく、自分たちのなかから仲間を候補として担ぎ出すというアイデアです。そして、金をかけないマニフェスト選挙、ブログ選挙を自分たちで実行してみせるのです。
 ここに現れてきたのは若者・学生たちに限らない課題です。むしろ若者が投票に行かないことをなじっている私たち自身の課題だろうと思います。政治を既成のプロに任せ、市民のなか、生活者のなかから押し上げていくことをしない、その消極性が問われています。被選挙権をしっかり使える市民・県民なら、選挙権を軽視することもなくなる(それは若者にも伝わる)のです。
 ここまでくると、もう若者・学生の投票率の問題ではありません。無党派が多数になったこの時代の政治への向き合い方、これから求められてくる選挙の戦い方、さらには政党の自己変革の方向性までが浮かび上がってきていると思います。

2−8.顔写真がない選挙ポスタ−と選挙葉書
 選挙ポスタ−86枚と選挙葉書2,000枚をどのように活用するかを考えたが、顔あるいは上半身に名前を書いた従来の選挙ポスタ−に、私自身不満を感じていた。立候補者を全く知らない人が、選挙ポスタ−の顔写真だけを見ればどの立候補者も真面目で、いかにも町民のために全力で頑張ってくれそうに見えると思う。しかし当選して実際に議員になったらどんな課題にどのように取り組みのかという事は全く伝わってもこない。そして議会を傍聴して議員のレベルの低さを目の当りにすると、選挙ポスタ−の意欲に溢れる顔の表情と、現実とのギャップの大きさに腹立たしささえ感じるようになる。
 そこで私は同じスペ−スを使うのであれば、私が町民が元気を取り戻すような政策がある事を伝えた方が有効だと思い、選挙ポスタ−と選挙葉書は顔写真の代わりにマニフェストを載せる事にした。参考として選挙ポスタ−を最後のペ−ジに掲載する。
 インタ−ネットを活用する若い世代で、私の選挙ポスタ−を見て興味を持った場合に、私の顔やこれまでに行ってきた活動や現在取り組んでいる課題等を詳しく見る事ができるようにHPのURLも記載した。
 選挙ポスタ−を看板のどの番号の場所に貼るかは抽選で決まる。私は7番に決まった。
ほぼ中央の上の場所で、周囲が全て顔写真のポスタ−だったので、逆に私の名前とマニフェストのポスタ−は目立っていた。ポスタ−が風で剥がれそうだという連絡を選挙管理委員会から受け、直すためにそこへ行った際に、近くに住んでいる人が、選挙ポスタ−の看板の写真を撮る人が結構いると教えてくれた。国道4号線沿いだという事もあったと思うが、十和田市内をエリアとする新聞社が私の選挙ポスタ−を記事にしていたという話も選挙後に聞こえてきた。

2−9.選挙カ−を準備できずに「宣伝カ−」、そしてダ−ツの旅
 車の屋根に枠を載せ、それに名前を書いた看板とスピ−カ−を着けた選挙カ−は準備できなかった。それでも、車のボディにパソコンで名前の文字を大きくプリントアウトした紙を貼るだけでも宣伝になるのではないかと思い、急遽届け出をする事にした。
 告示前日の9時頃、事前審査に選挙ポスタ−と届出書を持って選管へ行き相談したとこ
ろ、警察署に相談するように言われた。七戸警察署で見てもらったが、「道路交通法上は、車体寸法が変わっていないので許可は要らない。公職選挙法上で、一区画の表示が規定寸法内に収まっていれば良い。」との事だった。私の顔写真を拡大コピ−して貼ったものが、問題ないかどうかを確認するのに多少時間を要したが、問題ないという事になった。午後3時位までに持ってくれば良いと言われ、ホ−ムセンタ−からテ−プや透明なシ−トを購入。家に戻って名前をパソコンでプリントアウトし、コンビニで拡大コピ−。急いで車のボディに貼り、白い紙で文字を隠し、雨で濡れないように透明なシ−トで覆いテ−プでとめた。選挙期間中の決められた時間以外はそれらが見える状態で公道を走る事はできないようである。
 他の立候補者は運動員で分担してポスタ−を一斉に貼るので、告示日の午前中にはほとんどの陣営が貼り終えたようだった。私は家族にさえ負担をかけないと決めていたので、一人で貼る事にしていたし、家族はいつも通り長芋の収穫作業をしていた。初日だけは、ポスタ−を貼るために地図を見ながら地区内全域を車で走る事になるので、4月から私のところで受け入れていた農業の研修生を、道路を覚えてもらう絶好の機会だと思い運転手を務めてもらった。
 ハンドスピ−カ−はレンタルしておいたので、街頭演説はどこでもできたのだが、ポスタ−を貼りながら地区内を車で回ったが、テレビ番組の「ダ−ツの旅」のように、歩いている人はほとんど見かけない。会社員の若い人や農家は日中家にいないし、何人かとは直接話をする事ができたが、私のタ−ゲットではない人がほとんどであった。
 天間林地区で立候補した15人のうち、選挙カ−を用意したのは5人で宣伝カ−は私一人、他の9人は車もなしマイクとスピ−カ−もなしだった。それでも今までの選挙で選挙カ−を用意するのはほとんどいなかったのに比べると住民に訴える姿勢は向上したと思う。

2−10.作戦変更、農協前のみの連続街頭演説
 選挙ポスタ−を貼りながらいろいろ考えた。私が動くよりも、いつも同じ場所にいて待っている方が良いのではないかと思い、天間林で一番住民が多く集まる場所である農協ストア前の駐車場を借りた。農協組合員でもあり、すんなり許可をもらえた。
 宣伝カ−を道路からよく見える場所に停め、1時間毎に20〜30分ずつ演説を行った。車広報の窓ガラスに次の演説の時刻を貼っておいたら、それを見て聞きに来てくれた方もいた。選挙ポスタ−が欲しいという方もいて数枚あげた。演説が終わると近づいてきて、いろいろ話をしてくれる人もいた。町長は「健康のために積極的に運動して下さい。」と言いながら、老人クラブからも施設の使用料をとるようになった。そのせいでゲ−トボ−ルに参加する人が減った。女性の方からは、所得は増えていないのに保育料は値上げされた。糖尿病のため毎日散歩しなければならないが、冬は寒いので屋内スポ−ツセンタ−を利用していたが、施設内の外側を壁に沿って歩くだけでも1時間1、000円をとられるようになったなど、たくさんの生の声を聴く事ができた。
 「家には挨拶とかお願いに来ないのか?」という問い合わせには、「毎日農協前で演説しているので、一度聞いてあげて下さい。」と伝えるようにと家族には指示した。親族も自分が役場や農協に用事や買物で来る機会が多いので、その時に聞く事ができた。
 農協青年部の仲間からは、「いつもよりも選挙期間中に立候補者が家に来るようになっ
た」と言われた。私の出馬が他の立候補者の票ににどのような影響を与えているのかよくわからないために、票を固めたつもりでも不安で再度票固めに歩いているとの事だった。
 鹿内県議と古村県議が応援に来てくれたのには驚いた。わざわざ私のために、青森市と浪岡から駆けつけてくれたかと思うと、ありがたいという気持ちで一杯だった。 

2−11.結果は落選、でも次につながる影響を与える事ができたという充実感
 投票日の夜は応援してくれた親族や近くの方が自宅に集まって開票結果を待った。
 結果は220票で下から2番目だった。最下位でも不思議ではない戦い方だったので、救われたような思いだった。502票を獲得して当選した先輩の田嶋弘一氏の携帯に電話を入れ、当選を祝う言葉を伝えたが、逆に、「俺は4ヶ月かけて502票とったが、お前はたった5日間で220票とった。大したものだ。選挙はおまえみたいにやるのが本当かも知れない。」という言葉を頂いた。他の方からも割りと高い評価を頂き、選挙に出て今までにないスタイルを提示できた事はとても良かったと思っている。最も遅い出馬表明ではあったが、次の選挙から見れば、最も早い出馬表明という事にもなる。親族には次回の選挙にも出馬する事、そして今まで以上に活動する事をその場で誓った。
 他の立候補者はお願いに歩いた分だけ選挙後はお礼に歩いた。そのエネルギ−も相当である。私は同じエネルギ−であればもっと住民のためになる事に使いたいと思っている。
それは、住民の生活を豊かにするための政策を考え実現していく事だと思っている。
 何よりも、このような選挙スタイルに敏感に反応しかつ投票してくれた220人の方には心から感謝したい。数でこそ他の候補者よりも少ないが、一票の重さとその質の高さでは間違いなくトップだと思っている。私が一生大事にしなければならない220票である。
 参考までに県南新聞(4月30日号)の一部を転載する。
七戸町町議選第1区 新人の附田俊仁氏がトップ当選
 22日投票が行われた七戸町議選第一区(旧天間林村)では、新人の附田俊仁氏が唯一、600票台でトップ当選を飾った。
 高田藤夫村政時代に助役を務めた故附田豊喜氏の長男。現在の小又副町長が村長選に出馬した時、後援会長に指名されたのが若手の附田俊仁氏だった。
 「父の村議選から25年ぶりの選挙でしたから、すべて一からのスタ−トでした。9番以内を目標にしてきたので、トップと聞いて自分でもびっくりしています。私の得票よりも告示三日前に名乗りをあげた哘清悦さんの票の方がすごいですよ。とにかく責任の重さを痛感しており、精いっぱい頑張りたい」と語った。
政策が通用しないことも分かった、でも疲労感より充実感でいっぱいです
 七戸町町議第一区(天間林地区)に告示直前に名乗りをあげた哘清悦氏(38)は220票を獲得し、大方の町民から「短期決戦で200票台は大したもんだ」と高い評価を受けている。
 合併協議会の委員も務め選挙の公開討論会などのボランティア活動にも精を出してきた哘氏は町外でも広く知られていた。その哘氏が告示直前に出馬を表明、誰もが驚きを隠さなかった。
 特に一区の天間林地区は年明けから定員5人オ−バ−の状況は変わらず、激戦が伝えられていた。もう新人が割り込む余地はなかったに等しい。
 誰の目にも無謀な挑戦と思えたのだが、哘氏は「私は各候補の公約、マニフェストを見て1票を投じてきた。ですから決めるのは告示後ですよ。選挙は全くの素人ですし、私なりの尺度で出馬したが、今選挙で政策が通用しないことがわかった。そのへんのギャップは大きいが、一方で無党派がいることも分かったし、私の公約に目を通し、色々意見を寄せる人もいました。中には”次は応援したい”という人もいた。ですからコミュニケ−ションを深めることが出来たし、一定の成果を収めたと思う。今は疲労感より充実感でいっぱいです」と語った。
 今後の去就については、「私も合併協議会の委員の一人だったので、合併後に住民サ−ビスが低下している点や農業の担い手不足が深刻化している状況は心配ですし、これからも住民のために情報だけは伝えていきたい。選挙については家族や親せきから”4年後に頑張れ”と激励を受けた。特に父から”このような選挙ならよい”と言われた。次は七戸町全体になるので選挙を意識してアピ−ルしていきたい」と語った。
 推薦人の簗田明博氏(天間舘出身)は「何の準備もしないで、220票は上出来です
よ」と検討をたたえていた。


3.青森県知事選挙(6月3日投票日)
3−1.県民と向き合う姿勢に三村知事の政治姿勢が見て取れる

 青森県知事選挙は、民主党が候補者を擁立できなかった事が影響し、県民の関心を低下させてしまった。現職再選が揺ぎ無い状況であっても、県民にマニフェストを提示し、自らの言葉で語り、その決意を県民に示させたいとの思いから私なりに働きかけた。
 3候補者のマニフェストを入手したり、合同個人演説会の日程についても、各陣営に電話をして日程確認を行った。電話での感触では、三村陣営が「日程が空いていない」を口実に不参加の意向を固めているような感じだったので、電話で対応した幹部の方に具体的な日程を確認したところ、「まだ決まっていない」と答えた。
 他の陣営に電話した際に、八戸市の青年会議所からも同様の問合せをもらったとの情報を得て、そちらに電話したところ、有谷氏から助言を頂きながら準備をしているとの事だった。そこで有谷氏と電話で話をし、私はボランティアとして開催当日に会場準備等を手伝う事にした。三村陣営不参加の可能性ありという不安を抱えながらも、3陣営との協議が順調に進み実現に漕ぎ着けるのを祈りながら待っていたが、新聞記事を見て失望したと同時に、三村知事の政治姿勢に憤りを感じた。東奥日報記事を参考までに転載する。

日程の調整つかず合同演説会を中止/青年会議所青森協 2007年5月17日(木)
 十七日告示の知事選で、青森市と八戸市で合同個人演説会の開催を進めていた日本青年会議所青森ブロック協議会(小川秀樹会長)は十六日、候補予定者の日程が調整できなかったとして、開催を断念したと発表した。
 同協議会は、市民団体・公開討論あおもりフォーラム(有谷昭男代表)と連携し「青森県知事選合同・個人演説会を開く会」を設立。合同個人演説会は、各候補者が県民に広くアピールし、県民が全候補者の政策を比較する場となる予定だった。
 同協議会は「開催の趣旨について、各陣営からご理解をいただいていたが、こちらの不手際もあり日程が調整できなかった。真摯(しんし)に反省し、今後の運動につなげていきたい」としている。
「三村陣営回答なし」演説会断念の経緯をフォーラムが説明 2007年5月18日(金)
 知事選で、日本青年会議所青森ブロック協議会とともに合同・個人演説会の開催を目指していた公開討論あおもりフォーラムの有谷昭男代表は十七日、八戸市庁で記者会見し、開催断念に至った経緯を説明した。
 両者は青森、八戸両市での開催を目指し、十一日に三陣営に文書を郵送。堀幸光陣営は三村申吾候補の参加を前提として参加する、西谷美智子陣営は参加すると回答したが、三村陣営からは十六日の期限までに回答がなかったという。
 有谷代表は、「われわれは有権者と立候補者をお互いに幸せにするという理念を持って開催を目指している。ささいなことかもしれないが、回答しないという判断は問題だと思う」と述べた。
 三村候補の事務所は「十六日に日本青年会議所青森ブロック協議会が、日程調整がつかずに開催を中止した−と発表した通りと考えている」としている。

3−2.西谷候補が参考にしてくれた中橋氏のマニフェスト
 選挙期間中の5月27日(日)に弘前市文化センターで開催された「核燃・原発の安全を考えるシンポジウム」に参加したところ、西谷候補も参加しており運良く話をする事ができた。三村知事のマニフェストの評価が低い事を伝え、中橋氏が考えたマニフェストの中で良いと思ったところだけでも良いので、政策に取り入れてくれるようにと依頼した。
 その後の展開については、東奥日報の記事で紹介したい。そして、その元となった中橋氏のマニフェストを参考までに転載する。
西谷候補が公約発表/医療・雇用など重点 2007年5月30日(水)
 知事選に立候補している市民団体代表で無所属の新人・西谷美智子候補(46)は二十九日、県庁で記者会見を開き「青森県民が生き残るためのマニフェスト」と題した選挙公約を発表した。六ケ所 再処理工場の本格稼働阻止のほか、医療、雇用などに重点を置いた政策目標を示した。
 主な政策は(1)緊急救命室を県立中央病院と弘大付属病院に導入(2)コミュニティービジネスなどの起業件数の倍増(3)市町村財政緊急救済基金の創設−など。
 西谷候補は「四年間で一千億円の財源を確保し、医療、雇用などに充てる」と述べた。また、出馬表明会見で「再処理工場の試運転を認めたこと以外は申し分ない」としていた三村県政の評価については「原子力政策を進めており、評価はゼロ」と軌道修正した。
 同候補は、発表した公約を記した選挙運動用ビラを三十日から配布する。

3−3.私たちが求める知事選マニフェスト
(全体まとめ)
 統一地方選と知事選は、この1年間の「市民とマニフェスト:あおもり研究ラウンジ」の活動の一つの節目でもあります。04/14(土)にラウンジ定例会で「私たちが求める知事選マニフェスト」の形で問題提起と提言をします。これまで、この論説ブログで考察してきたことのまとめでもあります。おおむね次の内容です。これから出されるであろう知事選候補者のマニフェストを評価する際、一つの基準線を提供したいと考えたものです。
1.地域破たんの危機に立ち向かう、緊急マニフェストを
 1−1.地域医療の崩壊を食い止めるマニフェストを
 1−2.雇用不安を確実に改善するマニフェストを
 1−3.市町村の財政破たんを防ぐマニフェストを
2.地域経営の戦略プログラムを示すマニフェストを
 2−1.一貫性、体系性をもった経営目標型のマニフェストを
 2−2.重点配分型予算編成の指針となるマニフェストを
3.マネジメント(仕事の仕方)改革を宣言するマニフェストを
 3−1.県のミッションを再定義するマニフェストを
 3−2.県の権限を活用するマニフェストを
以下、それぞれの柱に沿って、内容を簡潔に展開します。

1.破たんの危機に立ち向かう、緊急マニフェストを。
(1)青森県の地域社会システムは、小泉改革以後安定性を失い、人口急減社会に急速に
   移行しています。
(2)とくに、医療崩壊、雇用不安、市町村財政の3つの破たんが現実に迫っています。
   これらは明日がない状況です。だが、県政の(知事も議会も、与野党とも)危機
   感、責任感は驚くほど低い。この緊急事態に対処するマニフェストが必要です。
(3)責任与党の自民党は総花主義を超え、漸減型財政から転換するべきです。対立軸を
   示せない民主党ともども、県民への不作為責任を問われます。
1−1.地域医療の崩壊を食い止めるマニフェストを。
(1)自治体病院は構造的赤字です。医師確保は困難で、診療科の閉鎖や診療所への転換
   が相次いでいます。青森の地域医療は安定的継続が困難な状況です。
(2)経営努力が現場の過重労働、医療の質低下につながる悪循環が加速しています。労
   災事故、医療過誤の頻発が懸念され、個々の医師、医療技術者の多少の優遇では解
   決不能です。
(3)自治体病院の多くは、公設民営化や指定管理などによって、医師確保に責任を持て
   る医療法人などに経営を実質委譲することが必要になっています。
(4)その現実を踏まえた再編計画の修正、実現の前倒しが必要です。そのため、医療法
   人との契約条件の裏打ち、巨額(644億円)累積欠損金の処理などについて県が責
   任分担の決意をするべきです。
(5)研修医を集めなくては自治体病院支援は不可能です。研修医を集められる最新救急
   医療システムを、県病、弘大病院に導入する重点配分が必要です。アメリカ型緊急
   救命室(ERシステム)が想定されます。独立行政法人になった弘大への経営支援に
   もなるでしょう。
1−2.雇用不安を確実に改善するマニフェストを。
(1)県の雇用環境は、数十年間全国最下位クラスを低迷しています。とくに最近は職場
   の絶対的な不足に陥り、人口流出や中高年自殺の急増に直結しています。
(2)これまでの国策依存、公共事業依存、二次産業立地願望では雇用を改善できなかっ
   たことが明白です。政策を主導してきた県政与党と県の産業政策部門は重大な責任
   があります。産業政策、成長政策の失敗を、若者など県民個々人のアジャスト努力
   の不足にすり替えてはなりません。
(3)もっとも多く雇用を提供しているのは地場の中小企業です。その新事業開発がなけ
   れば、雇用状況は好転しません。雇用拡大の主力は全国的にも革新的中小企業で
   す。県の雇用問題は、起業件数(新規開業)が少ないことの裏返し問題です。
(4)既存企業の保護や底上げ、融資枠準備では雇用が好転しないことを、これまでの事
   実が証明しています。起業促進のため、高率助成でリスクを下げた資金を大量・継
   続的に供給すべきです。
(5)思い切った資金供給に踏み切ることで、新規開業と新旧交代を促し、革新的企業
   層、経営者層を拡張すべきです。県の産業特性も踏まえて、農漁業者の新規事業も
   重点対象とし、リーディング分野とすべきでしょう。
1−3.市町村の財政破たんを防ぐマニフェストを。
(1)夕張は対岸の火事ではなく、地方財政再生法制によって、かなりの数の県内市町村
   が2年後には再建団体に転落する危機にあります。
(2)県庁は別な自治体だから他人事という対応は許されません。県の支援がなければ、
   あきらかに自主努力では追いつかない市町村があります。県は、市町村経営を他人
   事のように見ない姿勢を具体策で打ち出すべきです。
(3)ただちに限界市町村と県の共同チームを編成し、財政再建策の見直しと前倒し実施
   に着手することが必要です。
(4)財政破たんの波及防止のため、緊急救済の互助的枠組みを急ぎ検討すべきです。県
   も相当額を積み立て、各市町村にも財政規模に応じた拠出を求めるべきです。

2.地域経営の戦略プログラムを示すマニフェストを
 いまの時点で求められる知事選マニフェストは、地域経営の戦略プログラムを示すマニフェストです。一貫性、体系性をもった経営目標型のマニフェストでなければなりません。具体的には、今後、重点配分型の予算編成に転換していくために、その指針となるマニフェストです。選挙で有権者の同意を取りつけておかなくては、予算編成の大きな転換はできません。
2−1.一貫性、体系性をもった経営目標型のマニフェストを
(1)地域破たんに対処する具体策には、財源の裏付けと重点配分の保証が必要です。総
   花のなかで努力目標的な文章を列挙しても実現することはできません。
(2)そうした財源確保と重点配分は、既得権益に切り込まなくては実現できません。県
   政自体のこれまでの意思決定の仕方、行動様式の変更も必要です。
(3)財政を巡っては、大きな官民所得格差による公共への不信感、管理強化で活力を失
   っている学校や自治体の職場風土、談合で自ら活力と能力を低下させている業界体
   質、既得権益化して不公平な補助金支出などの問題があります。
(4)これらの問題を温存したまま事業費を節約するのではなく、むしろこれらを克服
   し、地域活力を高める方法で財源を確保するべきです。その点で、これまでの県政
   運営はまったく決断不足でした。
(5)地域経営の観点から、これらの既得権益の解体方針、社会活力の回復方針、財源確
   保と重点配分の方針を結びつけ、一貫性、体系性をもった総合的な経営目標として
   示すべきです。
2−2.重点配分型予算編成の指針となるマニフェストを
(1)財政制約が強調されていますが、知事が編成できる予算は年7,000億円、4年間で
   2兆8,000億円あります。重点配分への変更によって、医療、雇用、市町村財政の
   破たん回避は可能です。逆に、県が成功しなければ、地域社会システムの破たんは
   不可避です。その点で責任は重大です。
(2)景気が回復しても、地方財政の中期的圧縮は国策として決定済みです(小泉内閣06
   年骨太方針)。プライマリーバランス回復は最低条件にすぎません。三つの破たん
   回避などへの重点配分で歳出効果を高めなければなりませんが、これまで性質別歳
   出に大きな変動はありませんでした。
(3)重点配分のための財源確保には、人件費、公共事業、補助金の大胆な削減しかあり
   ません。このため、既得権益の廃止を実現する改革プログラムが必要であり、それ
   を裏打ちする性質別歳出の変更方針をマニフェストで掲げ、有権者の同意をあらか
   じめ取り付けることが不可欠です。

3.マネジメント(仕事の仕方)改革を宣言するマニフェストを
 知事選マニフェストはまた、青森県有数の巨大企業である県庁のマネジメント(仕事の仕方)改革を宣言するマニフェストでなければなりません。
 地域破たんが差し迫っているいま、県のミッション(組織目標)を再定義することが必要です。「県民の痛みを自分のこととして受け止める県政」「県民と公共・公益の仕事を分かち合う県政」「市町村の苦境を支える県政」「いざというときに県民を支える備えを怠らない県政」をめざすべきです。
 また、財政制約が大きくても、県は権力機関でもあり、予算編成権、事業の発注権限、補助金の使途の決定権限などがあります。それらの権限を活用する方策をマニフェストで打ち出すべきです。
3−1.県のミッション(組織目標)を再定義するマニフェストを
(1)「県民の痛みを自分のこととして受け止める県政」とするべきです。官民の生活格
   差は政治家や県職員が想像するより大きい。安易な事業費削減、サービスの切り下
   げは許されません。「金がないから、もうできない」という「思考停止の封印」、
   「苦情住民との同伴」による実態認識、思いつき改革を排した「保守、保全目的の
   改革」への禁欲などが必要です。一方、必要な改革は躊躇せず、アリバイ証明規模
   にとどめてはなりません。
(2)「県民と公共・公益の仕事を分かち合う県政」とするべきです。事業費に人件費を
   帰属させた一体的削減によって、安上がり下請けを排した本格的外部化や民営化を
   進めるべきです。また、指定管理制度の活用、地域自治区づくり、ふつうの市民・
   県民が手がける小さなコミュニティ・ビジネスやNPOの新事業の後押しなどが必要
   です。
(3)「自治体どうしとして、市町村の苦境を支える県政」とするべきです。とくに、市
   町村の財政破たん防止に共同対処が緊急に必要です。県、市町村を挙げた「共助」
   で「地域自治継続計画」と「地域自治継続基金」づくりに踏み切ることが求められ
   ます。
(4)「いざというときに県民を支える備えを怠らない県政」とするべきです。基金積み
   増しに目標を転換し、客観的根拠、説明力のある基金水準を確保することが必要で
   す。そのため、「災害からの早期復活プラン=業務継続プラン」づくりを進めるべ
   きです。自然災害だけでなく、核燃料サイクル施設や原子力発電所に関しても、避
   難計画だけでは不十分です。
3−2.県の権限を活用するマニフェストを
(1)県議、県職員、県民と予算編成権を共有するべきです。全会派との公平・公開の協
   議で編成方針を決め、口利き(パイプ論)を根絶することが必要です。また、緊急
   重点配分以外は部局に編成を委ね、職員の研究意欲を引き出すべきです。さらに、
   予算提案に関係団体、県民の事前評価を義務づけ、部局と県民の協働を大きく促進
   することが必要です。
(2)発注権限の使い方は、特に公共事業関連業界の体質や活力を左右します。業界の談
   合体質の責任はかなりの程度発注者にもあります。健全な競争強化と地元発注増加
   を目標とした入札改革が必要です。(不完全型)一般競争入札で談合を防止し、同
   時に、応札条件の設定や加点法などの工夫で地元発注の増加、地元企業の元請化を
   推進するべきです。
(3)細切れの補助金をメニュー化すると同時に、公正化・公平化、既得権益排除のため
   に、使途の決定手順を公開型に変更するべきです。公開審査への応募によって、事
   業提案の精度が自発的に上がり、効果的事業への絞り込みが進みます。


最後に
 青森県知事選まで書いたところで上限のペ−ジ数の20ペ−ジに達してしまった。参議院選挙(7月29日投票日)についても書きたい事がたくさんあったが、衆議院の解散総選挙も近いと噂されている状況なので、それと合わせて次回に回したいと思う。
 マニフェストについてだけ簡単に述べると、重要政策として、1.年金、2.少子化対策、3.農業政策だけを掲げ、有権者の関心が高く、特に地方の1人区を重視した政策をわかりやすくマニフェストとしてまとめた民主党が大勝した。自民党のマニフェストは事業のメニュ−がたくさん並べられていて、字数が多いと読みたくないという有権者には向かないように感じた。しかし、民主党の政策がバラマキ型だと批判する声も聞かれたように、私もそれら3つの重要政策については、合格点を付ける事はできなかった。その理由については次回に述べたい。
 今回のテ−マ「選挙を変えて地域を変える」は、長くなるのを避けて間に入る言葉を省略したが、本当は次のようにしたかった。
 「選挙を変えて政治を変える 政治を変えて地域を変える」

【参考】私の選挙ハガキ(注:町議員は町職員の誤植)
090209選挙ハガキ表
090209選挙ハガキ裏

八戸高専地域文化研究センター「地域文化研究」第15号寄稿文

平成18年11月22日
地域づくり
                                    哘 清悦

1.「地域」というテ−マを頂いて
 先月、土岐先生から電話で、「地域」というテ−マで何でも良いから書いてくれないかと依頼され、ついいつもの癖で「わかりました」と回答してしまった。どう考えても無理だと思える事意外は引き受けてしまうこの私の悪い癖が、「地域づくり」に深く関わる事になる要因であったように思います。
 私は八戸高専機械工学科の22期生として入学し、土岐先生は、私が1・2年の時の担任で、在学中は数学を教えてくれました。私は27才で結婚しましたが、土岐先生と電話で話をするのは、披露宴での挨拶をお願いした時以来だったような気がします。まさに、光陰矢の如し。私にとっては、結婚してからの10年はあっという間に過ぎてしまったように思います。
 私が様々な地域活動をしている事を知っての依頼でしたが、「何でもいい」と言われると逆に頭の中が整理しにくくなり、また更に、「今までの活動を記録に残すというつもりで書いてみては」と言われ、社会人になってからの古い記憶までが一気に溢れ出し、益々整理できなくなってしまいました。
 仕事の最中も、何を書こうか、どう書こうかとそればかり考えていました。結局は、「今書きたい事から書こう」と決めました。

2.皆等しく確実に歳を取る
 久しぶりに土岐先生の元気な声を聞き安心しました。私自身は、今でも気持ちは27才のような感覚ではいますが既に38歳。土岐先生も私の両親も皆確実に歳をとっています。若い頃は時間がいくらでもあり、やろうと思えば何でもできるような感覚がありましたが、今は非常に現実的に考えるようになりました。一度きりの人生、限られた時間の中で、やれる事も限られていて、その中で「何をやるか」、まさに「選択」が問われているのだと思うようになりました。
 少子高齢化と言われて大分経ちますが、私の両親、親族、地域住民と日々接っしていると、高齢化という事を年々強く実感するようになりました。幸い私の家族は子供二人(長男7歳、次男5歳)がいるおかげで、それを若干打ち消してはくれていますが、長男が40歳過ぎても結婚できずにいる家庭もたくさんあります。勿論子供はいません。私が住む哘集落は23戸の小さい集落ですが、それでも私が子供の頃は、皆グランドに集まって遊んでいました。その光景は、今はもう全く見られません。
 恐るべし高齢化、地域そのものが老化し衰退していく様を、これからも直視していかなければならないと思いつつも、何とかできないものか、自分にできる事は何か、その中で何をするべきかといつも考えています。このように、心配せずにはいられないのが、自分が生まれ自分が育ったこの地域の事だからなのだろうと思います。
 男性の平均寿命が76歳だとすれば、既に人生の半分を過ぎました。残り半分の人生、残りの38年をどう遣うかを真剣に考えながら生きていこうと思っています。

3.本田敏雄先生の論文が非常に参考に
 土岐先生が参考にと送ってくれた「地域文化研究(第14号)」が届き、早速拝読しました。最初に本田先生の論文が掲載されていました。本田先生からは高専時代に日本史を習いました。私は中学時代は国語と社会が嫌いでした。私は答えが一つしかない数学や理科が性格的に好きでした。日本語は曖昧な部分が多いし、社会に至っては暗記科目でしかないと思っていました。
 そんな私が、歴史に対して興味を抱いたのは高専の頃からだと思います。歴史は、年号と出来事だけを暗記するのであれば、苦痛そのものですが、「人物」に焦点を当てて勉強してみると、俄然と面白い学問になるという事に気付きました。histroyはhis story。やはり人物の物語でなくてはならないと思います。国語、日本語に至っては、地域づくりに深く関わるようになって、「言葉」の重要性を強く感じるようになりました。
 それらの事は私の変化を示す一例であり、「人は変化する」ものだと思います。今の私と10年前の私とは別人とまでは言わなくても、明らかに変化しています。人生の最期には、どこまで変化し、どのような人物になっているかはわかりませんが、その最期に向かって日々変化して行くものだと思います。私はその変化を「進化」だと思っています。
 地域づくりに深く関わり、常に目の前に立ちはだかる障害に逃げる事無く向き合ってきました。その取り組みが、また次なる課題をまた私の前に提示し、それをまた解決しなければならなくなる。その繰り返しが日々続くと、昨日の自分と今日の自分が明らかに変わったと実感する事が時々あり、その時は自分でも「進化」したと感じます。
 話を、本田先生の論文がなぜ非常に参考になったのかについてに戻します。
 私は様々な経緯から、「再処理工場について勉強する農業者の会」の会長を務めています。昨年10月に、無農薬で米を栽培し、直接消費者に販売している50代の女性会員の代理人として、日本原燃株式会社に対して、ウラン試験開始によってお客様から契約を断られ売れ残ってしまった米を買い取るように請求し、現在交渉を行っているいる最中です。
 買取を要求する以上は、相手が納得できるような根拠を示さなければならず、私は、その女性からお客様との取引に関する書類を全て預かり、それらを資料にまとめて日本原燃に提出しました。それらについて疑問点があれば文書で質問してもらい、こちらも文書で回答するという方法で、文書での交渉を行ってきました。日本原燃は、文書でのやり取りを終えたら、つまり疑問点や質問が無くなったら、請求者本人(50代女性)との面談協議によって、文書のやり取りによる事実関係の確認・検証に間違いがないか確認してから回答したいので、面談協議の日程を提示して欲しいと文書で伝えてきたところでした。面談協議は、当方が請求者本人と代理人である私の二人で、日本原燃側は、副部長とその部下の二人という事までは合意していました。
 それに関して私が問題にしたのは、その面談協議に出席する日本原燃の二人の「権限」についてでした。文書と面談との確認方法で大きく異なるの点は2点にあります。面談協議では、顔を見る事と声を聴く事ができます。文書ではこれらは直接確認できません。それでありながら、その重要な確認の場に、会社の代表である社長が出席しないというのです。それならば、その副部長に全権委任したのかというとそうではなく、「当社は、面談協議の場ではなく、面談協議の後日にお示しすることを予定しております。当社の意向としては、社内での検討及び手続き上の必要性から、面談協議から10日程度いただき、本件申立てに対する回答を文書にて送付したいと考えております。」と回答してきたので、私は、「伝言役相手に面談協議を行う意義はない」と回答し、その場で回答できる人を出席させるよう求める文書を送付しました。その理由として、本田先生の「Identity」に関する記述を引用させて頂きました。その部分を次に紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(私が日本原燃に送付した文書の内容)
 「本人であること(Identity)」の証明(Identification)は、交渉事においては、特に重要であると認識し直しました。多少はその重要性を認識していたので、「最終段階で、出揃った回答が申立人ご本人の意思によるものであることを、申立人ご本人から直接確認させていただきたい」との御社の要望に対しては、請求者本人に、私がその必要性について十分説明し理解を得て、その実現に向けて、これまでにいろいろと準備を進めてきたつもりでおりました。
 証明する技術を認証技術(Identification technology)と言い、認証の形態は、「顔、言葉、合言葉、語り口、方言、合図等」(一次)や、「印章、記号、文字、指紋、サイン、署名、花押、暗号、家紋、旗指物、のろし、シグナル等」(二次:記述システム)、「バ−コ−ド、PFID、DNA、バイオメトリックス」(三次)と様々です。
 請求者本人の「印鑑登録証明書」と、それと同じ実印が押された「委任状」を御社に提出した事は、「本人であることの証明」を「記述システム」を用いて行ったということになります。
 御社の要求である「請求者本人との面談協議」は、最後は、「顔、言葉、語り口、方言」によって、「本人であることの証明(認証)」を御社の代表者自らが行うという意味であり、「文書のみでは納得できないが、面談によって、顔や声を確認(認証)できさえすれば納得できる」というのが、御社の代表の認識なのだと思っておりました。
(後日、日本原燃から送付されてきた回答)
 『10月23日付貴殿文書の求めに応じ、当社は、面談協議において本件申立てに対する回答を申し述べたいと思います。』
――――――――――――――――――――――――――――――――――――― 
 日本原燃の回答は、前回よりは良いとしても、私が満足できるものではありませんでした。つまり、会社の代表である社長は出席させないが、出席させる社員に、社長の代理として判断し回答する権限を与えるという事なんだと思います。それでも、「後日文書で回答する」から、「面談協議終了後、その場で回答する」との回答を引き出す事には成功したので、とりあえず前進したと思っています。
 はっきり言うと、私が今行っているのは、弁護士の仕事を無給で行っているようなものではないかと思います。これだけではなく、相当勉強しないとできない高度な地域づくりの活動をいくつも手掛けています。そのような私の活動に対して、「一銭の得にもならない無駄な事」と言う人もいます。しかし、実際は逆で、私が無給で行っている活動のおかげで、私がどんなに価値が有るものを手に入れているのかをその人達は知らないのです。
 「類は友を呼ぶ」。そのような活動をしてきたおかげで、私は、私と同じような信念を持って、無給で活動している人達と出会う事ができました。いざという時は、私も無給で手伝うし、彼らも無給で手伝ってくれます。何よりも、私が持っていない貴重な情報・ノウハウを持っています。それらは彼ら自身が経験によって得たものであり、それらは私が戦略を練る際に、非常に役に立ちました。それらについては、今後実例をあげて紹介していきたいと思います。
 なお、この風評被害発生による損害賠償請求については、私のホ−ムペ−ジで詳しく説明していきたいと思っていますので、今後はそちらを見て頂きたいと思います。グ−グルで「哘清悦」と入力し検索すると「哘清悦のHP」がトップに出てきます。

4.なぜ故郷に帰りたくなるのか
 話があちらこちらに飛ぶ事を許して頂きたい。「本人であること(Identity)」の話が出たついでに、これについて少し話したい。
 私は希望通りトヨタ自動車に就職できました。何に魅力を感じたかと言えば、第一に、企業としての強さ。トヨタ生産方式、無借金経営、泥臭さ、給料の良さなど。第二に、多少田舎である事。東京のように人が多すぎるところでの生活だけは、それだけで疲れそうなので避けたいと思っていました。
 そのトヨタ自動車に就職し、同期の高専卒は30数名だったと思いますが、皆同じ寮でした。当然それぞれの地方の方言、語り口があり、テレビで聞いた事のある全国各地の方言、語り口がいつも聞けたので、会話するのが非常に面白かった事を覚えています。私も相当意識して標準語で話すように心掛けていましたが、非常に疲れました。それでいて「イントネ−ション」はそのままだったようです。いつしか、「一番訛っているのは哘だ」と言われるようになっていました。
 最初の夏季休暇は皆帰省しましたが、面白かったのは、鹿児島高専卒の友人が、寮に帰って来た時に、非常に訛っていて、それが私のイントネ−ションとそっくりだった事でした。帰省して家族や友人と話しているうちに、数ヶ月かけて習得した標準語が吹っ飛んだなと思ったら可笑しくなりました。私も帰省すると、必ず連絡を取りあって遊んだり飲んだりする小中学校時代の仲間がいます。私は即座に地元の言葉に戻りますが、東京に就職した同級生で、帰省してもなかなか地元の言葉に戻れない人もいます。標準語が染み付いてしまっているのだと思います。この違いがどこから来るのかわかりませんが、今考えると、この「地元の言葉に対するこだわり」が、私が会社を辞めて地元に戻る事を決意した要因の一つになっていたと思います。
 本社の愛知県豊田市は最も長くて述べ2年7ヶ月、工場実習先の愛知県渥美郡田原町には2ヶ月、東富士研究所のある静岡県裾野市には1年。どこにも、私が好む自然がたくさんありました。裾野市はその名の通り富士山の裾野にあり、最高の環境でした。ここを我が故郷、一生住むところだと決めてもいい位にどこも素晴らしいところでした。それでいながらどこかでそうとは決めれないでいる自分がいました。
 農家の長男であり、哘家の7代目である事も会社を辞めた大きな要因でした。社員6万人の一人という存在価値よりも、私に代わる者がいない哘家の長男としての存在価値の大きさを強く感じるようになっていたからです。
 小学校の授業で「鮭は自分が生まれた川に戻って来て産卵する」と習いました。その時は、どこの川でもいいのではないか?自分が生まれた川がなぜわかるんだろう?なにも死ぬ程まで無理をして上流に上らなくてもいいのに?と思っただけで、それ以上深くは考えませんでした。しかし今はこう考えています。鮭は人間と違って親を知りません。しかし、孵化して稚魚となり、その泳ぎ回った川の臭いは記憶しているのだと思います。そして海洋で大人の鮭に育ち、自分が親になる番になった時に、懐かしい臭いがするその川を求めて溯上するのではないか。上流に向かって泳ぎながら、「自分が生まれたところは流れがもっと緩やかで、水は非常に澄んでいて快適なところだった。私の親はこんな大変な思いをして自分達を産んでくれたのか。自分も親と同じようにできるのだろうか。」といろいろと思うのではないだろうか。そして、親と同じ道を辿ってみて、初めて親の愛情の深さを知るのだと思います。親への恩返しのつもりで子供に愛情を注ぎ、ようやく自分が生まれたところ、親が産んでくれたところだと思えるところまで来て、産卵という最期の仕事を終え、きっと自分と同じように無事で元気に育ってくれるはずだと思いながら死んでいくのではないかと考えています。
 私もそのような鮭のように、親と同じ道を辿っています。私の父は8人兄弟(弟2人、姉2人、妹3人)の長男ですが、中学生の時に父を病気で亡くしました。親族との相続争いで土地を取られ、その土地を借金をして買い戻し、その返済のためにひたすら働き、次男を大学に進学させ、その苦労は紹介しきれない程多く、私も子供の頃は欲しい物も買ってもらえずに育ったので、子供ながらに、親の苦労は理解していたつもりですが、その私も今は親の立場になっています。両親は二人とも健在で農作業もむしろ私以上にこなしています。もし今私が父と同じような境遇に置かれたら、同じようにできただろうかと考えると、とてもできるとは思えません。私が今こうして地域づくりに時間を費やす事ができるのは、家族の協力があっての事で、特に両親が農作業をカバ−してくれているからこそできる事であります。
 私の名前は「せいえつ」です。しかし、命名した両親でさえそうは呼びません。祖母は「すぃ−ず−」、男の同級生は「せっつ−」、いとこは「せいじ・せいじ−」と呼びます。名前でさえそのような状況なので、日常生活における会話は、標準語しかわからない人に解説するのは一苦労です。私は「わ」、あなたは「な」、子供は「わらし」、娘は「めらし」であり、複数になると、「わんど、なんど、わらさんど、めらさんど」となります。しっかりと複数形になっているのには大人になってから気付き驚きました。このような言葉に囲まれて育った自分がいて、それ以外の言葉を使って話す自分は、どこか本当の自分ではないという感覚があったのだと思います。自分でも、標準語で話す自分は、はっきり言って似合わないと思っています。妥協できるとすれば、「多少訛った標準語」といった辺りだと思います。
 「本人であること(Identity)」。「哘清悦であること」。言葉は大事な要素だと思います。最後に、私が青森県財政改革推進委員会の委員として平成15年に提出したレポ−トの一部を紹介します。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 私も愛知県のトヨタ自動車に就職して一生そこで暮らすものと考えていたが青森県に戻ってきた。将来は親を呼び寄せるつもりでいたが、青森県に深く根を張っている親の事を考えると、自分が戻るべきだと判断した。自分が幸せになる条件の中に、親の幸せも欠く事のできない条件になっていた。
 親思う心に勝る親心今日の訪れ何と聞くらん(吉田松陰)。
 子供の頃、「故郷に錦を飾る」という言葉を、将来の希望と、独立心旺盛な熱心さを感
じさせる良い言葉に感じていたが、今はほとんど聞かないし、自分たちの年代で使う人はいない。就職を機に出て行ったらそれっきり。私は仕事があったから戻って来たのではなく、自分が食べる分の仕事は無ければ作れば良いくらいの気持ちで戻ってきた。
 青森県にいたい、戻りたい、帰りたいと思うかどうかは親にあると思う。子供が親の事を心配するかどうかは、親がどれだけ苦労して育てたか、子供がその愛情をどれだけ感じて育ったかにあると思う。「仕事がないから帰れない。」帰りたくないための理由に使っているだけかも知れない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

5.防犯意識の高まりをコミュニティ−の再構築に
 私は男の子供を二人授かった。なぜ「授かった」という言葉を遣うかについては、依頼されて作成したポエムをこの章の最後に掲載して説明に代えたいと思います。
 長男は小学2年生で、次男は来年小学校に入学します。昨年暮れに、下校途中の小学生が殺害される事件や、青森県内でも連れ去り未遂事件、声掛け事件が発生し、町、学校、PTAでは、通学路の安全確保が緊急課題になりました。私は昨年度が環境委員長で、今年度は副会長という役に就いていることもあり、会議の場では独自に資料(最終ペ−ジ参照)も作成し、真剣に意見を述べました。PTAとして何をやるのかを決めるためのプロセスについても、大いに問題がありましたが、長くなるので省略します。最終的には誰と誰が相談して決めたのかについてはわかりませんが、参観日に、教職員と保護者が講堂に集まっての全体集会の場で、PTA会長が「来年度から防犯パトロ−ルを行いますのでご協力お願いします」と挨拶の中で突然発言しました。副会長の私も、まだ議論の途中だと思っていただけに驚きました。PTAという小さい組織ですら民主的な手続きが行われない状況を目の当りにし、それは、その瞬間から、私が取り組まなくてはならない課題となりました。子供の下校時間に2班に分かれて、保護者が各自の車に「防犯パトロ−ル中」というステッカ−を貼り、決められたコ−スを巡回する事になりました。実施前の役員会で私は、「不審者や不審車両を見かけたら110番とあるが、どこを見て判断するのか」と質問しましたが、「・・・」。誰も回答できませんでした。結局、肝心な点を曖昧にしたまま、防犯パトロ−ルは、4月中旬から10月まで、保護者が1回ずつ出て行われました。これに限らず昨今のいじめの問題もそうですが、実際にやってみるまでもなく、十分予想できる事でありながら、問題を先送りしたまま、あるいは、見て見ぬ振りをして、そのままやり過ごす事が行政には意外に多い事を、これまでの経験からもわかっていました。  
 都市部では防犯カメラを設置しているところもありますが、いずれにしろ、地域住民と不審者を見分けるには、地域住民である事を知らなくてはなりません。延べ250人の保護者が参加した防犯パトロ−ルも、不審者・不審車両を見つけ通報した人はいませんでした。というよりも、できる筈がないのです。不審者が常に黒い服を着てサングラスをかけているとか、不審車両は道端に長時間停車していて改造している車とは限りません。一律に決められるものでもないのです。天間西小PTAは7つの地区に分かれていて、私は哘地区に属しています。それらは30年前、今の小学校に統廃合する前に、小学校があったところで、旧学区でもあります。私は哘地区代表でもある事から、哘地区の総会で次のような提案をしました。
 「今年度学校では防犯パトロ−ルを実施しますが、哘地区の皆さんと不審者を見分ける事ができるのは哘に住んでいる我々でなくてはできません。また、皆さんの車と不審車両を見分けるのも、誰が何の車に乗っているのかを知っている哘地区の我々でなくてはできません。ですから、小学校のPTAで他の地区の人が、この哘地区にパトロ−ルで来ても、不審車両を見分ける事ができないので、逆に「この車は哘地区住民の車で、不審車両ではない」事を示す、哘独自のステッカ−を作りたいと考えています。車の外に貼ると盗まれて悪用される可能性があるので、車の内側、ダッシュボ−ドの上に置くようなものを考えていますが、もし、それを実施する事になった際にはご協力お願いします。」この提案に対し、「他の地区でも同じようにやればいい。」という好意的な意見も頂きました。
 私のこの提案の真の狙いは、防犯対策よりも、地域のコミュニティ−の再構築にありました。たまたま、そのきっかけとして防犯を利用したと言った方が適切かも知れません。なぜ私がコミュニティ−の再構築にこだわるのかについては、別の機会に話したいと思います。
 この防犯パトロ−ルは、本田先生の論文の最初に出て来た「認証」にも関連する事でもあります。 屬海凌佑呂海海涼楼莉嗣韻任△蝓不審者ではない。」、◆屬海亮屬蓮△海海涼楼莉嗣韻所有している車で、不審車両ではない。」事をどのように認証するのか。ここでひとつ前提条件について説明しておかなくてはなりません。,両豺隋◆崔楼莉嗣韻涼罎防埒骸圓呂い覆ぁ廚箸い事が前提となっており、△鷲埒骸嵶召話楼莖阿ら来る事が前提になっています。それと、私がトヨタ自動車に勤務していた立場から述べますが、トヨタ自動車では、不審車両を1台も製造した事がない筈です。要は、車両の問題ではなく、人の問題なのです。これらの前提条件は、今年春に秋田県で起きた、畠山鈴香被告による、米山豪憲君殺害事件で脆くも崩れました。そこで7月のPTA役員会で提出した資料の中に、次のような一文を加えました。
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 自分達の地域から不審者(現在成人)と将来の不審者(現在児童)を出さない対策が最も重要。「不審者から子供を守る」事に夢中になり、「その人がなぜ不審者となってしまったのか」、「犯罪者となってしまった人は子供の頃、どのような環境(家庭・学校・地域)で育ったのか」いう視点が置き去りにされているように感じる。
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 防犯パトロ−ルについては、もう一言話しておきたい事があります。
 昨年の10月25日(火)に、八戸市の公会堂で行われた全国初のマニュフェスト型合同・個人演説会を見に行きました。結果として小林氏が現職の中村氏を破り、八戸市長に当選した訳ですが、マニュフェストの内容やと力強い発言から、大いに熱意を感じる事ができました。
 そして、今年の4月には、「八戸市の公用車150台に防犯パトロ−ルのステッカ−を貼らせた」という新聞記事を目にしました。これも私の地域づくりの手法の一つですが、「他市町村の良い事例を真似させる方法」を時々使います。早速電話で七戸町学務課に、「八戸市を真似て公用社にステッカ−を貼る位は簡単にできるでしょう。」と提案しましたが、これすら未だにできない程、残念ながら我が町は反応が鈍いと言わざるを得ません。本当は一度の提案で動いて欲しかったのですが、11月14日(火)の町長他課長約30名出席する町政座談会の席で再び八戸市の事例を紹介して、同じ事を再提案しました。さすがに来年度は実施(真似)するだろうと思います。
 八戸市について再び驚いたのは、今度は、7月13日(木)のデ−リ−東北に、「八戸市教委の“安全メ−ル”配信/見守り団体に拡大/登録者1万人に迫る/子供の犯罪被害抑止へ地域一丸」という記事が掲載された事でした。私がイメ−ジしていた事(最終ペ−ジ参照)が八戸市では既に見える形となっていました。小林市長の反応の良さにはつくづく感心しました。小林市長は、青森県内の中で、今私が最も注目している首長の一人となっています。 
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(坂本龍一さんの呼びかけに応じたミュージシャンのSUGIZOさんがプロデュース
 する再処理の問題を伝える本への寄稿を依頼されて作成したポエム。   2006.9.16)

愛する子や孫のために                         
                                    哘 清悦
 私は家族で、米と長芋とトマトを栽培しています。
 朝、窓から差し込む太陽の光を感じて目が覚め、「今日もまた太陽に先を越された」と思いながら、急いでハウスへ行って見ると、トマトもすでに活動を始めています。日中に蓄えた養分を夜の間に果実に送り肥大させ、収穫適期を迎えた果実を、誰でもわかるように赤くしておいてくれます。私はトマトの栽培はできますが、トマトそのものを作る事はできません。
 女性が子供を出産する事は大変な事だと思います。しかし男性と同様、赤子そのものを作る事はできません。神様が組み込んで下さったプログラムが、お腹の中で、その通りに展開するのを見守るだけです。
 私が30歳の時に長男の光輔が生まれました。そして私は、寝返りもまだできずに仰向けに寝ている光輔の顔に自分の顔を近づけ、真上から眺めていました。あまりにその顔や仕草が可愛くて、思わずにっこり微笑みました。すると、光輔もにっこりと微笑みました。予想しなかった反応に驚き、「どこで微笑み方を習ってきたんだ!」と思いました。光輔は自分がどんな表情で微笑んでいるのかもわからないはずです。私には、神様が、自分の力では何もできない赤子が、人々に愛されて育ててもらえるようにと願い、可愛く微笑む術を授けて、この世に送り出したのではないかと思えました。
 その光輔が3歳の頃、私が仕事をしているハウスで夕方まで遊んでいましたが、お腹も空いただろうと思い先に家に帰らせました。しばらくすると、「カラカラ」と聞き覚えのある音が近づいてきました。「まさか」と思って振り返ると光輔でした。家からハウスまでは緩い上り坂になっていますが、補助車輪が付いている自転車で戻ってきていました。驚いて、「どうしたんだ?」と聞くと、「お父さんがお腹が空いたかと思ってパンを持って来た!」と言いました。自転車のカゴの中を見ると、あんパンが入っていました。全く予想もしない言葉でした。神様は、人を思う心、親を思う心までも授けて下さったのかと思い、とてもありがたいと思いました。そして二人で向き合って座りパンを食べました。
光輔はおいしそうにパンを食べていましたが、私はもう胸が一杯になっていました。この
出来事は、私の脳裏に深く刻み込まれました。その日は神様に、「この子は私が全力で守
り育てます」と、固く誓った日となりました。
 私達は、「子供を作る」ではなく、「子供を授かる」と言わなくてはなりません。
 私達人間が生きていくために必要な物は、「電気やお金」ではなく、空気・水・食料です。六ヶ所村では今、神様から離れた傲慢な人間達が、自分達の無知と無力さに気付かずに作り出した人口放射能を、空と海に撒き散らしています。それは自然を完璧に創られた神様を侮り挑発する行為です。その報いは、私達全ての人間にはねかえってきます。私達は彼らに、自分が何をしているのかを、早くわからせなくてはなりません。
 私達が愛する子や孫のためにも。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

6.「人は石垣、人は城」、方言は地域を守る砦
 話は大きく変わりますが、昨年9月11日は、郵政民営化を争点にした、国民投票的な衆議院選挙が行われました。なにもアメリカで起きた9・11テロと同じ日に行わなくてもとは思いましたが、日米欧委員会というものがあるように、日本・アメリカ・ヨ−ロッパの関係については、別の機会に詳しく述べたいと思いますが、結論だけ述べると、名前の順序とは逆で、政治的力関係では、ヨ−ロッパ、アメリカ、日本となっています。
 その郵政民営化の選挙で「刺客」という言葉が遣われました。辞書には「人を暗殺する人」とあります。現在ロシアでは、プ−チン政権を批判していたジャ−ナリストが暗殺されるという事件が起きています。「暗殺」である以上、人前で派手に殺すのではなく、誰にも見られないように殺すという事ですが、そのためには誰にも怪しまれずにその標的に近づかなくてはなりません。「邪魔者は殺せ」という方針も下で、ケネディ−を暗殺し、レ−ガンを脅し、自分達の思うように政治を動かしてきたグル−プがいて、彼らが日本にも強い影響を及ぼしている事も知っておりますが、これも別の機会に話したいと思います。私が地域づくり活動を通じて得た人脈の中に、情報の仕事にしている人がいます。彼からの情報は、今では私に欠く事のできないものとなっています。
 これも彼から聞いた話ですが、かつての薩摩藩には、藩主を守る「城」とそれを囲む「石垣」も無かったそうだ。素人目には無防備極まりないように見えますが、「薩摩刺客は生きては帰れない」と言われたそうです。なぜ?と思いましたが、「人は石垣、人は城」と聞き納得しました。「方言」は地域防衛上、敵と見方を見分けるための、そして、自分が敵ではない事を仲間に証明するための手段であったとわかりました。言うなれば、「暗号」なのです。むしろ、意識的に作らなければならなかったと言えると思います。
 我が家の防犯上、あまり話されない事ではありますが、我が家には鍵を掛けて外出するという習慣がありませんでした。田舎にいけばそれが普通だというところがまだ多いのではないでしょうか。それだけ昔は、そして地方は、治安が良かったと思います。我が家では日中は農作業に出ていて誰も家にいません。宅配便の荷物も、玄関を開けて中に置いて行ってくれます。ある日運送屋さんから電話がありました。私が秋田県の米農家から購入した紫黒米を明日配達するとの事でした。「荷物をどこに置いておけばいいですか?最近は米泥棒が多いから、シャッタ−は閉めておいた方がいいですよ。」「そうだな。じゃあ、小屋の中へ置いといて下さい。」そんなやり取りがあった翌日、農作業を終えて小屋を覗いて見たら、しっかりと注文した米が置かれ、シャッタ−が閉められていた。他人の小屋のシャッタ−を開けるという行為自体、今の時代では考えられないだろうが、幸い私の住んでいる地域は、どこか信頼感と一体感を辛うじて持っているように感じる。隣近所集まれば常に、その場にいない人の話題になります。すぐに人の噂をする田舎のそういうところを嫌い、人間関係がドライな都市部での生活を好む人が多いと思いますが、実はそれも方言と同じ位重要なのだと思えるようになりました。つまり、噂話も含めた日常会話を通じて、間接的にお互いの情報を共有しているのです。断片的ではあっても、そのような情報から、その家族、その人が今どういう状況に置かれているのかという事が、何となく把握できます。そして、何で困っているかを知っていると、自分が助けてあげられる事がないのだろうかと気に掛けておく事ができ、その時が訪れた際には、助けてあげられるのです。勿論、何もしてあげられない事の方が多いですが。
 私は小さいコミュニティ−から大事に考えています。哘家、哘地区、旧天間林村、新七戸町、上北郡、上十三地域、青森県、日本。哘家、哘地区の将来の事を考えると、七戸町、青森県、政府に対しても言わなければならない事もあり、実際に発言もし、行動もしています。時代は大きく変わり、敵の侵入を防ぐだけで地域を守る事はできなくなりました。これからの時代も、地域を守るためには、正確な情報に基づいて長期的な戦略を練る事が大事だと考えています。残念ながら私には、我が七戸町、我が青森県に戦略らしい戦略が見えてきていません。

7.世界遺産と放射能、青森県民の美意識
 本田先生の論文に、種差海岸が出てきて懐かしく思いました。私は八戸高専の北辰寮に
5年間お世話になりました。低学年の寮生は6月頃に、朝早く起きて、種差海岸までの20kmを歩く行事があったと思います。その頃は、海水浴場がある海岸位にしか思っていなかったし、社会人になり友達と夏に車で遊びに行った時も、若い人がたくさん集まる海水浴場位にしか思っておらず、海に鳥の羽や油のような物が浮いていて、汚いと感じた事が印象に残っています。
 私は、トヨタ自動車に就職し、3年9ケ月で辞めましたが、就職して2年目の職場で、海外旅行が趣味という人に、タイのプ−ケットという世界で一番美しい海と言われている島へ連れて行ってもらった事があります。パスポ−トを取るのも初めて、海外旅行も初めて、飛行機に乗るのも初めてで、ジェットスキ−などのマリンスポ−ツを飽きるだけ楽しんできました。お陰で、それ以降それらには全く興味が無くなりました。映画007の撮影現場に選ばれただけあって、海は感動する程きれいでした。胸の深さまで海に入って足元を見ると、小魚が泳いでいるのが見える位透き通っていました。本来の海はこれほどきれいなものだったのかと思いました。私の頭の中では、「美しい海」といえば、プ−ケットの海が基準となってしまっていました。そのプ−ケットもスマトラ沖の大津波で被害を受けたと聞いているので、大変心配です。私が訪れた頃は、開発が始まったばかりで、昔の日本を思わせるような懐かしい雰囲気がありました。その後はやはり更に発展したとは思いますが、日本のように公害や自然破壊が進んでいない事を願っています。
 他の人にとっては何の変哲もない風景が、そこに住む人々にとっては無二の存在であり、私が哘に住んでいて毎日見る風景が一番いいと思うように、八戸の人は八戸の風景が一番いいと思うのだろうと思います。
 私は青森県民だけではなく、多くの日本人の美意識がずれてきているように感じます。
 栄光栄華を極めたソロモンが残した言葉には、非常に重みのある言葉が多く、その中に、「美しいが嗜みのない女性は、金の輪が豚の鼻についているようだ。」という言葉があります。ソロモンが例えて言った言葉を実践しているような人は、現在の日本でたくさん見かけることができます。
 青森県は白神山地のように世界遺産に登録されるに相応しい美しい自然はたくさんあります。それだけを見れば確かに「金の輪」です。しかしそれがどこについているかが問題だと思います。私には「豚の鼻」についているように思えてなりません。なぜ青森県、青森県民が「豚の鼻」なのかについて述べます。
 田子町に国内最大規模の産業廃棄物の不法投棄がありました。田子町の住民は誰も気付かなかったのか?青森県は一体どういう対応をしていたのか?原状回復させるだけに投じる公金はとんでもない金額です。それよりも何よりも、六ヶ所村の再処理工場・放射性廃棄物貯蔵施設、むつ市の中間貯蔵施設、東通と大間の原発、米軍三沢基地・射爆場・Xバンドレ−ダ−。いくら国策と言えども地元が拒否すれば受け入れずに済んだ筈です。青森県全体を上空から見た時に、これらだけが見えないようにできている目を持っていれば、美しいと思うかも知れませんが、私の目はそのように便利にはできていません。
 六ヶ所村の再処理工場に至っては、今年3月31日から放射能放出(アクティブ)試験を開始し、高さ150mの排気塔と、沖合い3km深さ40数メ−トルの海底から、大量の放射性物質を放出しています。放射性物質は見えないし臭いもない。だからと言って美しさを損なわないのかと言えば、私の感覚では、目に見える汚らしさよりも汚らしい。
 何よりも、お金と引き換えに、青森県の自然を売り渡した青森県民の精神に、私は美意識を全く感じません。高レベル放射性廃棄物の最終処分場も決まっていない状況で、海外から返還される高レベル放射性廃棄物までもを貯蔵させておく場所を提供する青森県を見て、美意識や世界遺産を論じる以前の問題だと思っています。三村知事に至っては、放射性物質を自然界に撒き散らす事を許可した張本人でありながら、攻めの農業と称し、公費を遣って東京へ行き、消費者に向かって「安全・安心」と平気で宣伝しています。その感性は、私にはとても理解できるものではありません。その姿に青森県知事としての威厳を感じ取る事もできなければ、生き方としての美意識を感じ取る事も全くできません。日本人を代表する総理大臣が、アメリカのいいなりになっている現状では、知事一人に日本人としての美意識を求めるのは、そもそも無理な話なのかも知れません。総理大臣や知事がこうも小さい人物に見えるようになるとは、これまで全く想像していなかった事です。
 私の住む哘の自然は、世界遺産に比べれば、金の輪・銀の輪はおろか、針金の輪のようなものでしかないかも知れませんが、「豚の鼻」につけるような事だけはしたくはないと思っています。例え針金の輪であっても、美しく嗜みのある女性が身に着けると、美しく
輝いて見えるように、そんな「美しい腕」を用意したいと思っていますし、そんな美意識
をこれからも持ち続けたいと思っています。

8.岩手漁民の美意識と隣人から抗議を受ける青森県民
 まずは、2006年1月26日(木) の東奥日報の記事を紹介したい。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
安全性をめぐり“激論”/岩手の団体 要望書提出
 「それほど安全なら、陸奥湾に廃液を流せばいい」「それでは地域エゴだ」−。六ケ所再処理工場アクティブ試験に関する要望書を二十五日に提出した岩手の市民団体メンバーが、対応した県幹部と安全性をめぐり“激論”を交わすひと幕があった。
 発端は、再処理工場から出る放射性廃液は年間四万七千人分の経口急性致死量に相当する−との市民団体の主張。県の担当者は、周辺住民が受ける放射線量は年間〇・〇二二ミリシーベルトで人体への影響は十分小さいと説明したが、カキ養殖が盛んな岩手県山田町に住む「豊かな三陸の海を守る会」の田村剛一代表は「それほど安全なら陸奥湾に流せばいい、と話す漁師もいる。陸奥湾のホタテは新鮮だが、岩手のホタテは危ない、と言われる危険性が十分ある」。
 これに対し県資源エネルギー課の櫻庭洋一課長は「そうなると、まさしく地域エゴになる。再処理工場は青森県だけのために造っているのではなく、原発を動かすために必要」と強く反論した。
 田村代表は「陸奥湾に流せば陸奥湾の漁民はみんな反対すると思う。陸奥湾漁民は反対しない、地域エゴはない−というのなら青森県民は大したものだ」と譲らなかった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 岩手県山田町は海を汚染しないために、町ぐるみで合成洗剤の使用を控え、石鹸を使う事に取り組んでいる環境に対する意識が非常に高い町です。それに対して、青森県職員の対応には呆れる事がこれまでも何度もありましたが、ここまでくるとさすがに恥ずかしくなります。自分達の海太平洋に、大量の放射性廃液を流すというこの問題に対して、八戸の漁民、種差海岸が美しいと思っている八戸市民はどう思っているのか、そして隣人である岩手県民が青森県に対して抗議をしている事に、特に近くでもある八戸市民はどう思うのか一度聞いてみたいと思っています。海流の流れからすると、岩手県の三陸沿岸の前に、必ず八戸沿岸を流れます。青森県民がこの問題を直視せずに世界遺産をいくら口にしても、私にはそれは空しく響くだけであるように思います。

9.本当に何も無いのか、それは見えていないだけではないのか
 私が生まれ故郷に戻ってきた要因の一つに、離れて暮らしてみて、生まれ故郷の良さを再発見した事もあると思います。私は中学生の頃、私が生まれ育った天間林村(現在は七戸町)には「何にもない」と思っていましたし、そう発言していました。美しい自然、山や川に対する存在価値を全く認識していなかった事の表れであり、ましてや、親や地域から受けた愛情などという目に見えない価値を感じる事もできなかったし、また、できる年齢でもなかったと思います。それでいながら、自分の性格で良かったと思える事は、子供ながらに、自分が決断した結果に対しては全て受け入れる覚悟があった事であり、それは今でも変わらないと思っています。
 私の父は、「農家の長男なのだから後を継いで当然。別に学校に進学しなくても良い」と言っていました。中学2年ともなれば、将来の職業を意識して進路を決めなくてはなりません。その頃、自動車やオートバイに興味を持った私に、担任の先生が就職率100%の八戸高専を紹介してくれました。初めて得た情報でした。私の目標はすぐに八戸高専機械工学科に定まりましたが、それは同時に、農家を継がない事も意味していました。勿論両親もそれを察していました。両親は両親なりに、息子が家にいない将来を想定し、自分達の老後を念頭にいれ、その後の生活設計・営農計画を考えていたそうです。父も私の性格をよく知っていて、説得しても無駄だと思っていたのか、長男なのだからという話は、全くしなくなり、引き止めようとはしませんでした。今考えると、子供が覚悟を決めた以上、親も覚悟を決めなければならないという事だと思っています。
 面白いもので、「家にいろ。農業を継げ。」と言わないのに、息子が自らの意思で家に戻ってきて、自ら農業をやりたいと言い出す。あの時もし父が私の気持ちを力で捻じ伏せて、自分の思う通りにさせようと思っていたならば、逆に私は家から離れる事ばかり考えて、農業をやりたいとは思わなかったかも知れません。
 農業と言えば、後継者不足・嫁問題が昔から最大の課題でした。私も家に戻って来て結婚するまでの三年間は、家の中でも外でも嫁の話ばかりが話題になっていました。後継者不足の問題については、農業政策の問題も確かにありますが、最大の問題は、今現在農業を営んでいる「親」の影響が最も大きいと思っています。後継者がいる農家とそうではない農家、その違いは恐らく、自分が農業をどう思っているかだと思います。私の父親は元々無口でしたが、それを差し引いても、農業に対して愚痴をこぼしたという記憶がありません。たまに母が、「それでも人に頭を押さえられて仕事するよりもどれほどいいか」と言っていました。もしこれが逆に、毎晩食事の度に、「農業はきついばかりで、いくら頑張って働いても収入が増えない。」と子供に向かって愚痴をこぼしていたらどうだろうか。多分誰であろうと農業を継ぐ気にはなれないと思います。
 私はこれまでに、6人の研修生を受け入れて、4人を就農させました。最初の研修生の本間雅也君は、野辺地町の非農家出身で、農業に関心を持ち、東京農業大学の短大を卒業したまでは良いが、その後どうしたら良いのかわからずにいましたが、青森県の農業会議に相談に行き、そこで私を紹介されたそうです。後日、本人と農業会議の職員が私のところへ来ました。平成10年の春だったので、私もまだ30歳でした。私そのものが、まだ指導できる立場にはありませんでしたが、「できると思えば引き受けてしまう性格」がここでも災いして、受け入れる事を決めました。その時の私の考えはこうでした。
 「私が人に指導できるようになってからと言っていれば、いつになるかわからない。私も「人を育てる事を学ぶ」研修をしようと思って、無理をしてでも引き受けるべきだ。指導者とか研修生とかでなく、一緒に勉強するんだと思えばいい事ではないか。」
 その本間君が3年間真面目に働きましたが、心に変化が見えてきたので、4年目に大きな宿題を与えました。「本間君、来年は独立するつもりで、今年から準備を始めろ。」
 本間君は、仕事にも慣れてきていましたが、「従業員」という立場に安住し始めていました。私はトヨタ自動車の良い点も悪い点も自分の目で見て思うところがありました。私は、26歳で有限会社みちのく農産を設立しましたが、従業員を増やし、規模を拡大し、会社を大きくしようという考えをもっていません。たとえ大きな組織であっても、一人一人が生き甲斐を持って、楽しく働くようでなければつまらないと思っています。言うなれば、人間重視の考え方です。私にそう言われた本間君は、人から紹介してもらった約1haの土地を、制度資金を利用して取得し、農協の補助事業を利用してパイプハウスを9棟(面積は約1,300坪)を建て、独立して5年目の今年は、40数人いるトマト部会の中で、一番の栽培面積となりました。本間君の成果は、イコ−ル私の評価でもあり、例え独立させても失敗はさせないという気持ちは持っていました。それでいて、本人が困って相談しに来た時意外は、一切口出ししないようにしていました。本間君を成功させる事は勿論ですが、地域づくりの戦略として、何も持たない新規就農者が、専業農家を超える活躍をする事が、行政、農協、農家に与えるインパクトの大きさもある程度予測していましたし、本間君を足掛かりに、次の戦略を展開していきたいとも考えていました。
 その本間君が、農協の会議に青年部の副支部長として出席し、こう発言したそうです。
 「皆さんは新規就農者新規就農者と言いますが、私もその新規就農者の一人ですが、何もない状況から、借金をして土地を買い、ハウスを建て、トラクタ−などの機械も買い、本当に大変です。農家の長男であれば、土地もあり、ハウスも機械も全て揃っています。私から見れば羨ましい位です。だから、後継者対策は、私のような新規就農者を何とかしようと考えるよりも、皆さんの息子さんが後を継ぐのが一番いいんです。」
 それまで元気よく発言していた各組織の年配の役員らは、本間君のその一言で黙り込んでしまったそうです。農協の役職に就いている優良農家でも、自分の息子が農業を継いでいないという事実を突きつけられたのが、相当痛かったのだと思います。
 地域についてもそうですが、自分の職業の魅力を、自分自身で見つけ、それを確固たるものとするところから全てが始まるような気がします。
 平成15年の春に来た研修生は、北海道出身で、北海道の大学を卒業し、東京の商社で5年働いたそうですが、農業をやりたいと言って1週間だけ研修に来ました。東京へ帰る前の晩に一緒に食事をし、次のような質問をしました。
 「今これが無くなったら生きていけないとすれば何だと思う?」しばらく考えて、
 「・・・、お金ですか?・・・」と答えました。
 私は農業を目指す人に、儲かる話はしません。それが魅力で農業を始めたとすれば、儲からなければきっと辞めると思います。私は人間が生きていくために必要なものが何かという事から話します。1空気、2水、3食料。この順序は、それが無くなった時に、人間が早く死ぬ順序です。私もそうでしたが、生き物を扱う農業を新たに目指す人は、意外と自分も生き物だという意識が薄れていたりします。
 「我々農家は、単に食料という商品を生産しているのではない。それによって、人間が生きていくために最も必要な酸素までも作り、それは無料で国民に提供してあげているんだ。それに今もし戦争が起きて、日本に石油と食料が入ってこなくなったらどうなる?その時は、薪(暖房)と米(食料)を持っている農家が一番有利なんだ。」というような話をします。すると研修生も、農業に対する見方が全く違ってきます。
 その研修生は農家の長男でしたが、その後3年間私のところで研修し、昨年の秋に北海道の実家に帰って、今年の春から両親と一緒に農業をしています。
 金属のように、熱しようが冷やそうが死ぬ事がなく、切って短ければ溶接でくっ付ければいいという感覚で、作物に接するととんでもない失敗をしてしまいます。低温、高温、病気等、一度死なせてしまえば終わりなんだ。「10−1=0」なんだという感覚が染み込むまでには、私もたくさんの失敗を経験しました。そして、健康な野菜を育てる我々農
家がまずは健康でなくてはならないという意識も持てるようになりました。
 私は人より多く失敗を経験しているかも知れませんが、私は次のような考えています。
 「何も考えずに始めて失敗するのはただの無駄。最善を尽くして考えて始めて失敗した事は、それまでは知りえない新たな情報をその失敗によって得る事である。そう考える事ができれば、そのような情報をより早い段階で獲得して、今後の戦略に活かしたいと考えるならば、より早くより多く経験した方が良い事になる。その結果として人よりも失敗が多いとすれば、それはすでに得ているものが多いという事であり、むしろ喜ぶべきものである。」

10.技術者から地域づくり活動へ、最後に
 本田先生の論文に、私も今とても気にしている事を示す一文がありました。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 科学者が悪い訳では決してない。技術者がそもそも悪玉ということは決してない。
 だが、科学−技術−社会−政治−外交−戦争とが組み合わせられると、かつては「原
爆」となった。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 政治をしっかりと監視しないと、科学者や技術者が開発した性能の良い便利なものは、人を大量に正確に殺す道具や、自然を破壊する道具に生まれ変わってしまう。「政策」の問題を突き詰めて考えていくと、最後は、「思想」の問題にぶつかる。政府の原子力政策、核燃料サイクル政策も然りで、「政策」などと言う表面的な問題ではなく、皮を一枚一枚剥すように捲っていくと、その政策を考えている人間の「思想」が見えてくる。それらを表に出して議論しないと、根本的な問題解決は有り得ないと思っています。
 青森県には美しい自然もありますが、原子力施設もあれば、米軍三沢基地もあり、北朝鮮の標的が揃っているとも言えます。青森県の将来を考える事は、同時に日本の将来を考える事でもあります。今こそ政治を監視しなければならない時でありながら、国民の選挙(政治)への関心は低く、非常に危険な状態にあると感じています。それらについても、公開討論あおもりフォ−ラムという団体に入って活動してきておりますのが、機会があればいずれ紹介したいと思います。
 今回は初めて執筆で、私が実際に行ってきた地域づくりの活動についてあまり紹介できませんでしたが、次の機会に持ち越した話も多いので、それらは次回に向けて準備しておきたいと思います。
 私の話が皆さんの活動に役立つのかどうか心配な点もありますが、どうか一つか二つでも拾って活かして下されば幸いと思っております。
 今回は貴重な誌面を私のために空けて下さり、誠にありがとうございました。

【参考資料】
防災無線とインタ−ネットによる迅速な情報の共有化と実効力ある二重の防犯・防災対策
 現在、紙に依存している町民への情報伝達方法(図1参照)では、防犯や防災等の緊急を要する状況には、全く対応できないという問題があり、凶悪犯罪と自然災害が多発している昨今において、安心して暮らせるまちづくりのためにも、防犯と防災に関する情報は、迅速かつ確実に町民に伝達できるシステムの整備が急務である。
 昨今、通学路での小学生を狙った犯罪や、女子高生の連れ去り未遂事件が多発している事からも、事件発生の通報を受けたら、関係機関で情報を共有し、それを防災無線とメ−ルによって、迅速かつ確実に町民に伝え、町民から寄せられた情報をもとに、警察が犯人を確実に逮捕できるようにしなければならない。そのためには、防災無線とインタ−ネットによる二重の情報伝達システムを早急に整備する必要がある。
 防災無線は、風や建物の遮音性等の影響で、聞こえにくい事もあるが、防犯や防災などの緊急を要する場合の情報伝達をより確実にするためにも、メ−ルの送信を希望し、登録した町民に対しては、携帯のメ−ルに情報を一斉送信できるようなシステムを構築すべきである。
 それによって犯人を目撃した町民は、警察に通報する事ができ、警察は町民から寄せられた情報をもとに、犯人を逮捕する事ができる。図2は、例として、連れ去り未遂事件が発生し、犯人が逮捕されるまでの情報伝達の流れを示したものである。
 また、防犯・防災に限らず、そのシステムを利用すれば、町民が登録しておいた、行政の関心のある分野については、メ−ルを送信する事によって知らせる事もできるというメリットもある。
090208放送とインターネットによる情報伝達

090208連れ去り未遂事件発生の際の情報伝達の流れ

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